米工房ライス・エッセイ
ようこそ、ライス・ファクトリー★米工房へ! 風の旅人★原田圭一さん
2003年7月13日(日曜日)〜 2003年9月20日(土曜日) まで
姫路にお住まいのライダー
第1巻;2003年7月13日〜9月20日=このページです♪
第2巻;2003年9月25日〜1月24日
第3巻;2004年2月1日〜10月2日
「2004年夏 北海道 バイクの旅」1
「2004年夏 北海道 バイクの旅」2

お待たせしました?
夏の京都、放浪編其の三(完結編)
「極みと言う名の京豆腐」です。
2003年9月20日(土曜日) 9:31Pm

<これまでの放浪編の回想より>

暑い夏のある日、ぶらりとバイクで兵庫県姫路市から京都市内散策に訪れていた俺。
鴨川の三条大橋へと差し掛かった時、河原に迫り出した「川床」に魅せられて、
そのままバイクを川床を設けていた京料理屋へと向け、昼食に旬の鱧(ハモ)を味わう。
店を後にした俺は鴨川の河川敷へ、丁度川床とは対岸の場所へと移動し、
美味かった鱧料理の余韻に浸りながら木陰で涼み続ける。
都人たる京都人の生活の知恵から生み出された川床に感心しながらも、
俺は今年の夏に訪れた北海道の友人達の事を、再会を誓い笑顔で別れを交わした
彼らの事を静に思い出していた。そして、願う・・・ささやかながら・・・。

「彼らにも旬の鱧を食べさせてやりたいなぁ」

簡単に実現出来ないと分かっていても、つい考えてしまったりする自分がいた(笑)。

「さぁて、行こうか!相棒さん!!」
気持ちを切り替えるようにバイクへ語りかけながら鴨川沿いを北へと走り出す。
今晩の食材「京豆腐」を仕入れに、都大路を駆け抜けて行った。

お待たせいたしました。
いよいよ放浪編の最後を飾る御話です。

<夏の京都放浪編其の三(完結編) 「極みと言う名の京豆腐」>

鴨川東岸の川端通を北上、下柳町交差点を左折し今出川通に入り加茂大橋を渡り
河原町今出川交差点で右折指示を出しながら信号が変わるのを待つ。
時間にして僅か数分だろうに、さっき河原で涼んだ冷気は遥か彼方へ消え去り、
今の俺を再び包んだそれは噎せ返るような湿気と茹だる様な暑さだった。
「頼むから勘弁してくれぇ〜!」
もう口を付いて出る言葉と言えば弱音ばかり、でも自分でそれを承知でやっている事
だから、誰にも文句は言えないもんね。
だって、そうでしょう?
これだけ夏の京都が暑いと知りながら普通車で動こうとせず、態々熱気と高湿度に
晒されるバイクをチョイスする辺り、物好きの極みと言われても反論出来ない。
でも良いもん、だって俺、バイクで動くのが好きやもん!
何か文句ありましてって開き直りの心境やね、まったく我ながら困ったもんやわ(笑)。

数分後、ようやく信号待ちから開放された俺は滝のような汗を滴らせながら交差点を
右折し、京阪出町柳駅前を横切りながら下鴨本通を北上。葵橋を渡ると直ぐ右手に
「糺ノ森(ただすのもり)」が見えてきた・・・・。

糺ノ森とは、鴨川の支流である加茂川と高野川が合流する三角州に広がる森の事で、
約12万uに亘って約40種類、600本もの樹木が鬱蒼と生い茂っています。
(・・中には樹齢600年って言う老木も存在し、時の重みを感じさせてくれます・・)
糺ノ森の名の由来は、川と川の合流を意味する「只州(ただす)」から取ったとか、
加茂建角命(かもたけつぬみのみこと)が当地での民衆の争いを「糺し」たことからとか
様々な諸説が残されていますが、どれが本当かは特定されていません。
そして森の再奥に鎮座する京都でもっとも古い神社の一つが「下鴨神社」です。

正式名称は加茂御祖(かもみおや)神社。
平安時代以降は上賀茂神社と共に伊勢神宮に次ぐ王城鎮守の神社として民衆に崇められて
来ました。境内から御手洗川に沿って長く延びる参道は、凛として清々しい空気を
感じさせてくれます。参道の先には白砂が敷かれた神域があり、国宝の東西二社の本殿
並びに国の重要文化財指定の社殿53棟が荘厳な佇まいを今に伝えています。
世界文化遺産にも登録され、毎年5月に執り行われる京都三大祭り「葵祭」では平安時代
の装束を身に纏った京都人の雅な姿が楽しめ、今を生きる人々に古の華やかな文化を、
次代へと受け継いで行く日本人の心を味合わせてくれます。
※(歴史資料、文献より参照)

糺ノ森を右手に見ながら下鴨本通を上って行くと、今度は左手に「加茂みたらし茶屋」が
現れた。下鴨神社・糺の森のみたらし池に湧き出す水の泡を形取って作られたという
みたらし団子発祥の地と言われているところで、味は申し分なし、最高です。
これから紅葉の秋を向かえ、色付く糺ノ森を眺めながらみたらし団子とお抹茶を頂く。
こんなシチュエーションがお奨めなんですけど、真夏は暑さから食が刺激されにくい
御菓子ですから今回みたらしは「通過」、見なかった事に致しましょう(笑)。

下鴨神社・糺ノ森から更に北へ300mほど下鴨本通を上がった法泉寺の路地を挟んだ
北隣に目的の店、「伝統の京風味」と暖簾に歌う手づくり豆腐屋、下鴨の「すがい」が
御座います。ここと出会ったのは今から2年前の2001年秋になるかなぁ・・・。
このころ豆腐の味に飢え、国産大豆を使用して天然のにがり以外の凝固剤を使用
していない混ぜ物の無い本物の豆腐を、自分の舌に適う理想の豆腐探しに東奔西走
しておりました(笑)。
中々近所周辺で納得の好く素材に出会えず段々と足が遠方へと向くようになり、
結局豆腐の本場、京都まで足を運ぶようになりました(笑)。
食道楽も拘り過ぎると、後に引けなくなるもんなんですねぇ〜。
(・・って言うか、それってオマエだけな気がするってツッコミが有りそうやわ(笑)・・)

しかし流石本場、いっぱいありますよ美味しい豆腐屋が。
思わず目移りしてしまいますよ、どれにしようかなって(笑)。
でも、自分がコレだと言い切れるモノに中々出会えなくて、悶々とした気分を
味わいながら上記のみたらし茶屋へ訪れた時、地元の御客さんに紹介してもらったのが
下鴨のすがいだったのです。みたらし茶屋とは目と鼻の先にありましたので、直ぐに
お店を訪ねました。そして試食を御願いし、味わった豆腐の感想は・・・・。
その後も、今日みたいに足を運んでいるのだから御想像にお任せしますね(・・嘘々(笑)・・)。

つまり、自分の理想と出会えた訳・・・。

「グォォォン・・・・ブォン」とエンジン音轟かせながら御店の前へ着けると、
「おっ、お兄ちゃんいらっしゃい!毎度おおきに、態々遠方(姫路)からありがとう」と
すがいの御主人が態々出迎えて下さいました。
「こんにちは、こちらこそ毎度おおきに!」
「相変わらず凄いモンで買いにきてくれはるなぁ・・」
「それほどでもないですわ(恥)」とすがいの御主人に答えながらバイクのエンジンを
切り、持参したクーラボックス片手に御店へと入ると「お兄ちゃんいらっしゃい!」と
今度は御主人の奥さんが明るい笑顔で迎え入れて下さった。
そう、すがいはこの御夫婦二人で切り盛りされている小さな京豆腐店なのです。

「まぁ、これでも飲んで一服して下さい」と紙コップに豆乳を一杯、いつも俺に出して
下さる御主人。本当なら一杯幾等か御金を払わなければ行けないのに、「遠方から直接足を
運んで下さる御客さんに私から出来るささやかながら感謝の気持ちなんですよ」と御主人は
何時も笑いながら俺に語ってくれます。

そう、初めてすがいを訪ねた時もこの一杯の豆乳が俺を持て成してくれたんだ。
富山産無農薬大豆を使用し、熟練の技で仕上げられた豆乳。
これににがりを打ち、軽く攪拌しながら固まると豆腐になる訳。
豆腐本来の味見をするのに豆乳は一番だとも言えますね。
この店に来るまで他店でいい加減豆乳を味わって来て、たしかに美味いと言えるものが
多かった。流石にレベルが高いと感じ取れたけど、何か物足りない気がしていた。
旨く言葉で言えないけど、想像した範囲内に収まる味と言えば良いのかなぁ。
でも、ここで味わった豆乳が俺の心の眼を開かせてくれたんだ。

「美味い」と一口味わっただけで、思わず飛び出した言葉。
コクがあり、豊かな大豆の香りと穂のかな甘みが口いっぱいに広がる。
そして心地よいのど越しが、素晴らしい豆乳の出来栄えを物語っていた。
あぁ、体の隅々に旨味が行き渡って行くのを感じる、素晴らしい、感動した(笑)。

この後、他に御客さんが居なかったとこを良い事に、御主人の仕事振りを
絶賛しながら、昨今の豆腐事情について熱く議論を交わしたっけ(笑)。
まぁ、それだけ本物の豆腐に飢えてた訳ってことですわ。

そして御主人が俺に是非と勧めて下さった自身作の京豆腐が「極み」と名付けられた品でした。
この一品が決定打となり、今日の「すがい参り」が続いております(笑)。
その名に偽りの無い、素晴らしい豆腐なんですよ、これって。
京都の名のある料亭に多く使用され、また全国からも極み豆腐求めるファンからの引き合いが
絶えない事からも、とても美味しい食材であると世間に認知されているのが分かります。
だから当然、バイクにクーラーボックスを括り付けてまで買い求めに来た品は・・・。
もう、聞かなくてもお分かりでしょう(笑)・・・・。

「極みを四丁、それと揚げ出し豆腐、さしみゆばを下さぁーい」と元気一杯吼える俺(笑)。
そう、湯葉も美味しいのよ。やっぱ豆乳が素晴らしいのとすがいさんの技の御蔭やね。
「毎度おおきに(笑)」と自分の世界に浸る俺を見てクスクス笑いながら注文を聞き取り、
クーラーボックスに豆腐達を入れて下さる御夫婦。

それから互いの近況報告も兼ねた雑談が続き、新たに御客さんが入店されて来たのを
会話の閉めとし、御二人に見送られながら下鴨を離れた。

昼に川床で味わった鱧、旬の旨味を堪能した。
そして今晩のおかずとして買い求めた京豆腐、これは冷奴で頂くのがお奨め。
今年の北海道バイクツーリング中に仕入れて帰った利尻の昆布醤油で頂くとしよう。
「クゥー、想像しただけで辛抱たまらん(笑)」
逸る気持ちを抑えながらバイクを駆り、姫路へと俺は帰路に付くのだった・・・(完)。


<編集後記>
北海道、米工房の久保元宏様。
本日(9/20)、地元阪神系列の百貨店で行われている阪神タイガースのセ・リーグ優勝記念
セールに参戦してきてボロボロにされた姫路の自称グルメライダーです(笑)。
(この時の模様は明日以降に、阪神特番として御報告致しますのでお待ち下さい)

ようやく放浪編を完成させました。もう北海道じゃ秋ですよね(・・関西も秋や(笑)・・)。
言い訳にしかなりませんが、7割から8割方書けてた所へ先日愛用していたパソコンの
ハードディスクがブッ壊れまして、バックアップ作業もサボっていた事も重なり、
原稿は次元の彼方へ消え去りました。過去2年間に及ぶ膨大な愛蔵データ(旅データ)と共に。
もう、目の前は真っ白、燃え尽きちゃいました(笑)。

因って、これは一から書き直した原稿ですが、始めに書いてた消えた文とは若干を
変えたと言うか、量を増やしました。糺ノ森や下鴨神社のくだりがそれに当たります。
古い神社等、古代史跡の宝庫と呼べる京都で下鴨・糺ノ森周辺はお気に入りの場所なんです。
それを紹介したくて簡単ではありますが、私が分かる範囲内で書かせて頂きました。
まぁ、それなりに纏まった内容に仕上がったのではと思っております。

これからは実りの秋を迎えて行く訳ですから、地元の秋の食材並びに秋グルメに
舞台を移し、また旅話を書いて行こうと考えています。
先日から始めた「風の旅人メモリーズ」と交互に発表して行けたら良いなと
思う筆者で御座います。
今週は本当に阪神優勝で始まり、阪神優勝で終わった一週間でした(笑)。

追伸;下記が今回ご紹介した御店の連絡先です。営業時間は午前10時〜午後6時。
木曜日が定休日で、全国に地方発送して頂けます。
名前 菅井 清
屋号 手づくりとうふ すがい
郵便番号 〒606-0815
自宅住所 京都府京都市左京区下鴨膳部町1
電話番号 075-781-2419
 


緊急企画!阪神タイ ガース18年ぶり優勝おめでとう!
関西は厳戒態勢だスペシャル!!!

日付 : 2003年9月15日 午後9時51分 月曜日

みましたかぁ久保さぁんー!
男、星野仙一、栄光の背番号77が7回宙に舞う姿を・・・。

ウォー!オ、俺は今、猛烈に感動している!!
この時を、俺は否俺たち阪神タイガースファンはどれ程待ち望んだ事か・・・。

ムッシュ吉田元監督が神宮球場で優勝を決めて胴上げされてから18年。
再びセ・リーグチャンピオンを取るまで時間が必要だったとは・・・。
でも待った分だけ、喜びも格別ですわ。
甲子園の優勝生中継見てて、家族一同鳥肌が立ちましたもん。

あの伝説となった前回優勝の85年、この時の強い、本当に強い俺たちの
阪神タイガースが何時しか消え去り、苦しく辛い辛抱の日々が過ぎて行きました。
そして今年、星野監督の手によって大改革を施された阪神タイガース
シーズン開幕から快進撃を続け、
4月から一度も首位を譲らず二位以下に圧倒的なゲーム差を付けながら、
ホームで、地元甲子園で赤星選手による劇的な
今年の阪神タイガースを象徴するような逆転サヨナラタイムリーヒットで優勝を決めた。

まるで映画の感動ラストシーンを見ているようでした。
The tide is high! 男、星野仙一、栄光の背番号77が7回宙に舞う姿を・・・。
シーズンの始まりから今までトントン拍子で行ったかに見えた阪神でしたが、
優勝決定後のお立ち台に優勝インタビューに上がった星野監督のコメントが
彼の今までにいたる心境を物語っていましたね。

「しんどかった」と彼は溜息を付きながら言いました。
本当にその通りだったと私も思います。猛烈な虎ファンの声を受けながら目に見える
結果を出す。夢を夢では無く、現実の物とするのだと星野仙一は心と体を犠牲に
しながらも、勝利の二文字を積み重ね続ける為に選手を叱咤激励し続けた。

お立ち台で全国のタイガースファンに向かい、熱いメッセージを送り続けた彼の
胸に去来するものは、おそらく自分を含めチームを影から支え続けた人々への
心よりの感謝の気持ちだったのではないでしょうか。
お立ち台を降りた後、男涙する彼に私も貰い泣きしてしまいました(笑)。

そして鳴り止まぬ喝采の中、執り行われたセ・リーグチャンピオン授与式。
あのチャンピオンフラッグとトロヒィーが18年ぶりに甲子園に帰って来ました。
もう、感無量ですぅー!!!(感涙)。

最後に六甲おろしの大合唱を浴びながら、グラウンドを一周!
2003セ・リーグチャンピオン阪神タイガースフラッグとチームフラッグを
誇らしげに掲げながら・・・。

おめでとう!本当におめでとう!!今宵は浴びるほど酒呑んだるでぇ!!!
一升瓶じゃ足んわい、樽の二つや三つ、ケチケチせんと持って来んかい(笑)。
あー、ほんまに酒が美味いなぁ。一緒に祝杯をあげたいなぁ久保さん。
朝まで生阪神タイガースで盛り上がりましょうで(・・ちょっと酔ってます(笑)・・)。
西に向かって、杯を掲げといて下さい。
(・・カンパァーイ・・アカン、かなり酔っ払ってる(笑)・・・)

明日から日本シリーズに備えて頑張らなぁアカンけど、おそらくチーム一同、
祝勝会で呑み潰されて試合になるのか心配やわぁ・・・俺もヤバイかもしれん(笑)。
ふん、細かい事は気にするなぁ!
勝利の美酒で二日酔い、本望じゃー!!
文句のあるヤツはぁ、かかってこんかいぃぃぃ!!!

意識のある間に今の気持ちを、この一句に託しますぅ・・・。
「時代(とき)を越え勝利の雄叫び木霊する」

優勝バンザイ!久保さんカンパイィィィィ・・・(アァ、意識がぁ、遠退いてぇ)。
オヤスミナサイィ(寝)・・・・。





「風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ〜」第三話
{中編@;バイクへの第一歩?}
2003年9月14日(日曜日) 3:17Pm

・・・人には、忘れられない記憶がある・・・

・・・誰もが心に、思い出と言う名のアルバムを持つ・・・

・・・喜び、悲しみ、そして苦しみ、今まで歩んだ軌跡の全て・・・・

・・・人生(とき)を、刻み続けた証が胸(ここ)にある・・・・・

・・・そんな私の心の記憶、懐かしい時の思い出伝えます・・・

・・・題して「風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ〜」・・・



{第二話の回想より}
梅が香る季節を迎えた播州は揖保郡御津町の七曲り。
バイクを駆り、父と共に今年初走りへと出かけたケイ。
久し振りの走りに手応えと充実感を味わった後、いつもの
溜まり場「あいおい荘」で後輩のバイク仲間達と再会する。
彼らとの会話の中で、後輩に貸したジッポライターが元となり、自らの過去を語る羽目になったケイ。
でも、彼は語るのを一瞬ためらう。
何故なら、彼の父も深い関わりを持つ出来事だったから。
だが、父の許しを得た彼は、静かに過去を語り始めた・・・。



それでは、前回に引き続きご覧下さい。



<第三話>「風の旅人〜走り始めた日々〜」{中編@;バイクへの第一歩?}

「えーっと、何から話せば良いかなぁ〜」と呟きながら、
ZZRに軽く腰掛け、ポリポリと自分の頭を掻くケイ。
単純に勝負に勝ったと、それも見知らぬ相手だったなら、只の自慢話で終わっていた。
それに言いたくないのなら、煙に巻く事も出来た筈なのに、馬鹿正直な自分の性格にも呆れる始末。

ふと視線を移すと、目の前には地べたに座り込んで話を聞く体制に入った後輩達の姿があった。
彼らの視線は俺の顔に集中し、
「さぁ、遠慮なく言うてや」と態度がコイツらの気持ちを表していた。
思わず天を見上げ「ウーン」と唸ったまま中々語りだそうとしない俺に後輩の一人が気を使ったのか、
言いにくい事情があるなら無理に話さなくても良いですわと言い出だした。
「別にそう言う訳やないよ」
「でも、何かケイさん言いにくいそうやし・・・」
「・・・・」
そこへ今まで沈黙していた親父が口を開いた。
「お前は上手に話そうと考え過ぎてしまうんや」
その言い方に、カチンと来た俺は間髪入れずに言い返す。
「そんな事あらへんわい!ただなぁ、・・・」
「ただ、何やねん?」
「・・あの人の事を、いい加減に話したく無いだけや・・」
「・・・」
二人の重苦しい雰囲気に、只静まり返る駐車場。
暫しの沈黙が過ぎ、先に口を開いたのは親父だった。

「お前の感じたままに話したらええやないか。
何やったら、自分が何故バイクに乗るようになったのか、そこから話したらどうや?」

「そんな昔の頃から?」

「あぁ、アイツの事と無関係とは言えないやろ?」

「そら、たしかにそうやけど・・・」

俺の返事には答えず後輩たちに振り返った親父は、

「お前らもコイツのそんな話聞いた事無いやろ?」と尋ね、

声を揃えたように「無いっス」と吼えるバカ後輩の声に満足そうな

笑みを浮かべる始末。



他人には話したくない、まだ気持ちの整理がついてなかったのかも

知れない。触れて欲しくない、あの人と刻んだ時を・・・。

そんな俺の気持ちを、きっと見抜いていたんだな、親父さんは。

語る事で自分の気持ちに整理を付けろと、何時までも引っ張るなと。

隣を振り返ってみると、やさしく微笑む親父が居た。

目頭が熱くなるのを堪えながら、俺は自分の過去を語り始めた。



**************************************************************



俺が一にも二にもバイクに乗る、憧れを持つきっかけになったのは

当然親父だ。親父は昭和34年にホンダの原付(初代カブ)を買って以来、

今のハーレーまで何台ものバイクを乗り継いできた現役のベテラン

ライダーであり、人として、人生の師としても慕う目標の中の一人や。

年を取った今だからハーレーダビットソンなんてアメリカンタイプの

バイクで落ち着いているけど、若い頃はオンロードレーサー系から

オフロードバイクまで何でも乗りこなす地元の仲間内じゃ有名な

走り屋だったらしい。それが嘘か真かは、今の彼を見れば想像が付く。

老いても尚衰えを見せぬ凄腕ぶりは、先刻七曲りでタップリと見せ

付けられたしね(笑)。そんな訳で、我が家には何時もバイクがあった。



物心付く頃には自然とバイクに興味を持ち、何が書いてあるのか解り

もしないのに親父が買ってきたバイク雑誌の色んなバイク写真を眺め

て見たり、親父のバイクに跨ってみたりと成長するにつれ、日増しに

乗ってみたい、自分で操ってみたい気持ちが膨らんで行き、遂に我慢

仕切れなくなった俺は親父に自分の気持ちを打ち明けたんや。



「父さん、お願いがあるんやけど・・・」

「何や、急に如何したんや?」

「うーんとね、僕・・・」

バイクに乗りたいんだって言いたいけど、その時俺言葉に詰まっちゃって。

親父も黙り込んで聞き返さないもんだから余計言えなくなっちゃてね。

それに俺も言い出しにくい事だから親父の顔を見ずにいた訳よ(笑)。

でも親父ったら黙ってるもんだから、ひょっとしたら怒ってるのかもって

恐る恐る顔を上げて見てみたら、なんとニヤニヤしながら笑ってるんや。

人が一生懸命自分の気持ちを伝えようしてるのに何かバカにされた気がしてね。

「何が可笑しいねん」って、初めて父親に食って掛かったなぁ(笑)。

そしたら親父のヤツ、もっと笑い出しやがってさ。

流石に頭に来て「もう良いわい」と言って親父にその場を離れようとしたら、

背後から親父が「何や、バイクには乗れんでも良いんやな?」と一言浴びせて

きたのよ。人が悪いと言うか何と言うか、息子の気持ちを瞬時に見抜く辺りは

今も昔も変わらないけどね(笑)。でも、その一言で乗れると判断した俺は

「父さん僕もバイクに乗りたいねん」と勢いで言ってしもうたんや(笑)。

(・・ちなみ言っておくけど、俺、この時未だ幼稚園児やってん(笑)・・)



この時親父はビックリしたんやないかと子供心に思ったね。

えっ、何故かって?だって俺、その頃未だ幼稚園児やったろ。それに当時

自転車すら乗った事が無かってな。それ聞いただけでも如何にも子供らしい

無謀な申し出やと思うやろ(笑)。でも、以外に親父は顔色一つ変えずに

「分かった、来月のお前の誕生日にプレゼントしたるわ」て言うてくれてん。

それ聞いて、もうめちゃくちゃ喜んだね。父さん大好きぃーってね(笑)。

せやけど肝心の誕生日を迎えた時、親父に騙されたと気づかされる事に

なってしまうねん・・・・。



満六歳の誕生日を迎えた日、送られたプレゼントは俺が期待した物と

大きくかけ離れていた、それは・・・何と・・・。

「これって、自転車やん!」と思わず不満の声を上げる俺。

目の前にある乗り物は、誰がどう見ても子供用の自転車だった。

ただし自転車やバイクなど乗り物に詳しい人間が見れば、親父が用意した其れは

唯の子供用自転車ではないことに気づいただろう。当時日本では珍しいオフロー

ド用自転車(今日のBMXやマウンテンバイクの原型になった物)だったからだ。

だが、そんな事は俺の知った事ではなかった訳で「騙された」「嘘つき」と

親父に文句を言いまくっていたら、この自転車を届けてくれた自転車屋の

リュウおじさんが、代わりに俺を宥めながら訳を教えてくれたんや。



「何でケイに、この自転車を選んだか分かるか?」

「知らんわ、そんなもん」と半べそを掻きながら言う。

「俺も君のお父さんも、一日も早くバイクに乗れるようになってほしいからや」

「えっ、おじさん、どう言うことなの?」その言葉を聞いて困惑する俺。

「君は未だ自転車にも乗れへんやろう?」

「・・うん・・」

「自転車に乗れるようになってからやないとバイクには乗れへんのやで」

「本当なんけ?、それって?」

「あぁ、本当や。そうやなぁ、テル?」と言いながら親父の方に振り返り、

相槌を求めるおじさん。「そうだ」と言葉少なめに返事を返す親父。

実はこの二人、小さい頃からの幼馴染。名前は田畑隆二(仮名)と言って近所で

自転車屋を営んでいた、親父の昔からのバイク仲間でも在ったんだ。

ちなみに親父の名前は光輝なんで「テル」、向こうは隆二なんで「リュウ」

と呼び合っていた。



「だから、まず自転車に乗れるようにならなぁあかん!」

今は未だ自転車にも乗れないことも事実だっただけに話にも説得力があった。

「うん、分かった」と気持ちも落ち着いてくると、逆に親父が選んだ自転車に

興味が沸いてきて流石に俺でも変だと気づいたのよ、目の前に在るものが(笑)。

普通同じ年の子供とか、幼稚園児くらいから自転車に乗り出す子が出てくるやん。

だいたいその頃人気のある漫画とかヒーロー物の絵柄がプリントされた補助輪

付の自転車が一般的やんか、普通小さな子供が最初に乗るヤツって。

それやのに、そんな装飾っ気なんか微塵も無いし、補助輪も付いて無いねんで。

正直、見てビックリさせられっぱなしやったね、コイツとの出会いは・・・。

でも、カッコイイなって素直に思った、乗ってみたいとも直ぐ思ったね。

それにさ、子供って見栄っ張りなとこってあるじゃんか。

「これ、僕の自転車やねん」て絶対他の友達とかに自慢したくなるものやもん。

近所周りで、これと同じ物に乗ってるヤツなんか居るハズ無いって分かったから、

後は現金なものさ。今の今まで親父たちに食い下がっていたのは誰やねんって

言われそうなくらい「僕、乗る乗る!」て嬉しそうに答えてたもんなぁ(笑)。

それから直ぐ自転車に乗る練習を始めようって俺は言い出したんやけど、家の前

の道じゃ危ないって言うんで、リュウおじさんが自転車配送に乗ってきた軽トラ

ックに自転車を積み直して市川(姫路市の中心部を流れる川)の河川敷へ三人で向かったんや。
俺は向かう車の中で上機嫌やったんやけどその後自分に待ち受けていた運命を知れば、きっと逃げ出していたんじゃないかな(笑)・・・(次回へ 続く)。





<編集後記>

米工房の久保元宏様

第二話を完成直後、過去二年間の愛蔵データと共に愛機バリュースターを喪う
今年最大の不幸に見舞われた傷心の放浪ライダーで御座います(泣)。



ですが私、こんな事位では凹んだりしません!(もう逆ギレ状態です)。
サラリーマンの財力にモノを言わせ、新たなる投資を行い、ニューウェポンを投入しました。
今年夏のニューモデル、NECの「VALUESTAR VL570/6」を手に入れました。
一括で買いました、もうハッキリ言って貧乏です、開き直りの心境です(泣)。
現在パソコンショップに修理を出した旧バリュースターには修理から戻ってきてもメインで
使わず、データサーバーとして活用して行こうと考えております。
まぁ、本音を言いますと、一度ケチのついたパソコンは信用出来ないって言うのもあります(苦)。



ところで物語に話を戻しますが(笑)、タイトルを御覧になられて御分りだと思います。
自分で考えていたより話が膨らんでしまって、中編にサブタイトルを設けて区切る事に
しました。だらだらと書かずにテンポ良く内容を纏め上げるだけの文章力があればと
わが身の無能を恨む今日この頃です(笑)。



さて次回の御話ですが、まず憧れのバイクへ第一歩を踏み出したケイ。
喜んで向かう市川で彼に何が待ち受けているのでしょう?
そして、物語はいよいよ重要な局面へと触れて行きます。
次回の風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ、第四話。
「風の旅人〜走り始めた日々〜」{中編A;バイクへの洗礼}に御期待下さい。





「風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ〜」第二話 2003年9月9日(火曜日) 9:01Pm
・・・人には、忘れられない記憶がある・・・

・・・誰もが心に、思い出と言う名のアルバムを持つ・・・

・・・喜び、悲しみ、そして苦しみ、今まで歩んだ軌跡の全て・・・・

・・・人生(とき)を、刻み続けた証が胸(ここ)にある・・・・・

・・・そんな私の心の記憶、懐かしい時の思い出伝えます・・・

・・・題して「風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ〜」・・・


日頃から愛用している「風の旅人」と言う言葉。
日本各地を転々とバイクで放浪する私を表現したつもりですけど、コレって自分で思い付いた言葉じゃありません。
昔に出会った、あるライダーから貰った言葉なんです。
当時、青臭い走り屋でしかなかった私に、親父と同じくバイクで走る本当の喜びを伝え、日本各地を巡るツーリングライダーへと変わるきっかけを 与えた人。
ライダーとして唯一親父意外から影響を受けた、忘れられない遠い日の思い出・・・。

今回は、放浪ライダー「風の旅人」の始まりを語ろうと思います。



<第二話>「風の旅人〜走り始めた日々〜」{前編}
「ケイ、今日も良い風吹いとうかい」
この言葉と共に、朝霧の峠に消えた一人のライダー・・・。
七曲りで彼に負けたその時から、ひた向きに彼の背中を追い続けた日々・・・。
がむしゃらに走りだけを、速さだけを求めていたあの頃・・・。
十代最後を飾った記憶・・・。

・・・時は戻り平成15年3月上旬の週末、早朝・・・
冬の寒さも峠を越え、梅の花が満開となった播州平野。
温暖な瀬戸内の気候に恵まれ、一年中雪が積もることなど殆ど無く、何時でも大好きなバイクに乗れるけど、やっぱり冬は寒いのよ。
よって冬は冬眠と、コタツで丸くなる日々を過ごした親子(・・ネコかお前ら(笑)!・・)
そんでもって去年の暮れからバイクも封印されっぱなしで、
暖かくなった今日になって、俺らもやっと復活を果たす気になった訳よ。
(・・ふっ、軟弱者と言うてちょうだい(笑)・・・)
自宅のガレージに入って冬の間タップリと埃の積もったカバーを取り外し、約3ヵ月ぶりに姿を現した俺の愛車「Kawasaki ZZR1100D」。
さらに奥から親父が乗る「HARLEY-DAVIDSON FXSTDソフィテイルデュース」も登場。
俺をライダーと言うストイックな世界へ引きずり込んだ張本人が愛用する舶来物の 贅沢品と言うたらあれやけど、
俺も親父も汗水たらして働き、やっとの思いで手に入れた宝物達なんですね(笑)。
互いに簡単な整備を済ませ、体鳴らしを兼ねた今年の初走りに出かけた。

瀬戸内海の播磨灘に面して走る国道250号線。兵庫県の明石市を起点に岡山県備前市まで続くこの道は、別名「浜国道」の名で古くから親しまれ ている。
その中で姫路市南西部に隣接する揖保郡御津町から相生市までの区間は、自然な海岸線に沿わせた連続カーブが続き、
地元では「七曲り」と呼ばれる走り屋御用達の道として有名。週末には神戸や大阪 からも遠征組がやってくる所だ。
ここは俺にとってバイクの走りを学んだ原点、聖地と言っても良いかもね。
ライダーとして一年の始まり、終わりも締めくくるコースは今も昔も七曲り。
それは「戦後」から走り続けている親父さんも同じさ。
だから当然のように親子で今年最初に向かった先は、もう聞くまでも無いね(笑)。

・・・朝靄が残る、ここは御津町「七曲り」・・・
「ブゥオオオン・・・ギュュュン・・・グォン、グォン」
アクセルとブレーキを巧みに使い、基本に忠実なラインを攻めながら連続コーナーをクリアして行き、先行するデュースを追う俺とZZR!
「ドドドドド、ドドッ、ドドッ、ドドドドドド」
最小限のコーナーワークで、素早い走りを展開する親父とデュース!
並列4気筒エンジンのZZRとV型2気筒エンジンのデュース。
エンジン形式の違う二台から生み出されるマフラーの咆哮は、潮風香る播磨灘に二重奏となって響き渡る。
「クソォ、相変わらず上手いなぁ親父ぃ、走りに無駄が無いでぇ」
見た目、明らかに軽く流していると言った感じ。
けど、その走りは60歳を越えた人とは到底思えない。
本気で走れば、まだどれ程の速さを見せつけてくれるのやら・・・。
「ったく、恐ろしい親父やで(笑)」
ピタっとデュースのテールに張り付きながら、その衰えを知らない走りに刺激され、さらに加速を増すZZR。
そして駆け抜ける二台のバイクは・・・ラストへ・・・。

「ふうっ、気持ち良かったわ!」
ヘルメットを脱ぎながら、久々の走りに満足の声を上げる。
結局最後まで親父を抜くには到らなかったけど、十分乗れてたと実感出来た。
いつも競争する時は七曲りを東側(御津町)からスタートし、ゴールを相生市との境界線(相生湾へと下る峠が境界)と決めていて、
ゴール後は金ヶ崎と言う峠から南へ入った岬にある国民宿舎「あいおい荘」の駐車場まで上がって一服すると言うのが、俺たちの御約束になってい た。
「ふん、あんなコーナーのツッコミじゃ、ワシの前は走れんぞ」
駐車場の自販機で買った御茶のペットボトルの1本を俺に手渡しながら、息子の走りを採点する父。
痛いところを突かれ(笑)、だんまりを決め込んでいると、顔なじみのライダー仲間が駐車場に入って来た。
「おおっと、久しぶりっすね、親子揃ってここで会うの」
「寒い間、全然姿を見ないから、どうせ走るのサボってたんでしょ」
「駄目っすよ、俺らの先輩がそんなんじゃ。それとも、歳には勝てな」「バキィ!」
(・・・最後の奴だけ、言い終わらないうちに一撃昇天(笑)・・・)。
「痛ってぇ、冗談やのに本気で殴らんでもええやん」
「やかましいわ!ったく可愛げの無い後輩どもめぇ(笑)」
どっと笑いを起こしながら何時も走り終わった後はこうして、ここでバイク談義に花を咲かせてるのもお決まりとなっていた。

そんな話の途中で、後輩の一人が奇妙な仕草を始めた。
胸や尻のポケットに手を突っ込んだり、体を探りまわったりしている。
「おい、どないしてん?」と気になったので尋ねてみると、
「タバコに火を点けようと思って、けど、肝心のライターが無いねん」
「それで?」
「尻のポケットに入れてたから、どうも走ってる最中に落としたんかも・・・」
「どうせ百円ライターやろ?鈍臭いヤツやなぁ、ホレ、火貸したるわ」
そう言って、俺は胸のポケットから古ぼけたジッポライターを取り出し、後輩に投げて渡した。
「ケイさん、わるィっす」と言いながら念願のタバコに火を点け、嬉しそうに一服しながらライターを俺に投げ返す。
そんな後輩の仕草に思わず笑いを誘われながら胸ポケットに収めかけた時、
「ケイ、ソレってアイツのジッポやな」と親父が尋ねた。
俺は一呼吸間を置いて、あの人から貰った物やと答えた。
そして二人の謎めいた会話の始まりに、興味深々と言った感じの後輩達。
でも、そこで会話が終わり、後を聞きたい彼らは我慢出来ずに口を開いた。
「そのジッポって、何か因縁めいた話でもあるんですか?」
まあ聞いてくるやろうなぁって気はしてたけど、ここは軽く受け流して
「このライターの前の持ち主と、昔ここで勝負した時の戦利品や」と答えたら、
「ケイさん、その時の詳しい話を教えて下さいよ」
「そうっすよ、聞きたいっす」と余計に興味を持たせてしまった(笑)。

コイツの事情に付いては親父も絡んでくるもんで、内心話して良いのか迷ってしまって思わず親父の方を向くと、コクリと一つ頷いた。言っても OKって訳ね。
「少し話は長くなるけど構わへんか?」
「良いっすよ!どうせ俺たち暇やしね(笑)」
「まぁ、暇潰しに聞いて楽しい話とは限らへんで」と断りを言ってから、
俺は昔の出来事を語り始めた・・・・(次回へ続く)。



<編集後記>
米工房の久保元宏様。
またも放浪編を無視して新しい話を書き始めてしまった、
残暑ボケ真っ最中の筆者で御座います(笑)。

アンティーク喫茶の話は悲壮な結末を向かえ、それでも最後は
幸せだったと締めくくりましたが、ちょっと悲しすぎましたね。
それにライダーとしての自分を描いた部分も殆どありませんでした。

そう言った前回の反省も踏まえて、ライダーとしての自分にスポットを当て、
放浪ライダー「風の旅人」誕生までを描いてみたくなりました。
結構長くなりそうなので、一応三部構成(前編、中編、後編)のシリーズ物で
御送りするつもりです。今回は、その一回目をお届けしました。

さて、次はどんなお話となるのでしょう。
ケイから語られる話とは?
親父さんも深く関係する事とは一体何なのか?

次回の風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ、第三話。
「風の旅人〜走り始めた日々〜」{中編}に御期待下さい。


秋の新作登場!「風の旅人メモリーズ〜 思い出のフォトグラフ〜」第1話 」!2003年9月6日(土曜日) 3:15Am

・・・人には、忘れられない記憶がある・・・。
・・・誰もが心に、思い出と言う名のアルバムを持つ・・・。
・・・喜び、悲しみ、そして苦しみ、今まで歩んだ軌跡の全て・・・・。
・・・人生(とき)を、刻み続けた証が胸(ここ)にある・・・・・。

そんな私の心の記憶、懐かしい時の思い出伝えます。
題して「風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ〜」


<第一話>「アンティーク喫茶〜忘れえぬ一時〜」

残暑厳しい9月の始め、昼から書棚を整理していた時の事だった。
学生時代の参考書と並んで入っていたアルバムを手に取った時、
一枚の絵葉書がアルバムから零れ落ちた。
「何だろう?」
拾い上げてから表書きの差出人を見て、思わず視線が止まった。
それは昔、良く通った喫茶店のマスターから送られた礼状だった。
日付は今から10年以上前、まだ私が学生だった頃の物だ。
「そうか、もうそんなに時間が経つんだなぁ」
葉書の裏には、御店の前で撮ったマスター夫妻の写真がプリント
されていた。温和な人柄が表情に表れた、見ている側も心の和む
一枚の写真。遠い記憶の日々が、心の中に蘇ってきた・・・・・。

******************************************************

マスターに出会ったのは、今から13年も前になる。
当時、地元姫路の高校を卒業した私は大学には進学せず、
神戸の異人館街で有名な北野にあるコンピューター専門学校に、毎日電車で通学していました。
神戸は古くから外国交易で栄えた異国情緒溢れる港町。
小さい頃から、この町に惹かれ、憧れ続けていただけに、毎日の電車通学も苦にならなかった。
週末、学校が休みでも通学定期券を駆使して神戸の町を放浪する有様(笑)。そん な中、もっぱら見て回ったのが史跡や古い町並みの数々。

私は古い史跡、洋式の家屋を見て回るのが好きで、
明治以降に神戸の町に建てられた異人館や迎賓館、銀行や商社ビルなど第二次世界大戦で米軍の空襲にも耐え、生き残った建物が当時は未だ多く 残っていました。
そんな神戸の町を探訪している時、偶然この喫茶店と出会ったのです。
あれは今と同じ9月に入った頃、神戸は厳しい残暑が続いていたなぁ。

「暑いなぁ、何時になったら涼しくなるねん!」
粒の汗が流れる額を拭うハンカチも、絞れるほどに湿り気を帯びていた。
週末、炎天下にも関わらず、例の如く神戸を放浪する私(笑)。
「喉が渇き過ぎて痛いなぁ、何処か涼める場所でも探してジュースでも買うか」
さすがに軽い脱水症状を覚えた私は自販機の在る、休憩出来そうな場所を探して当たりを見回した、すると・・・・。
「うん?あれ何やねん?」
古ぼけた洋館らしき建物が目の前に現れた。
しかも表には、これまた年代物の看板が立てかけてあって「喫茶」の二文字が
読み取れ、しかも「営業中」の札も掛かっていた。
「えっ、ここって喫茶店?こんな半世紀以上は経ってそうなくらい古いのに営業中?
しばらく店の前で、ポカーンっと口を広げたまま、呆気に捕られていた私(笑)。
でも逆に興味が湧いてきて、中を覗いて見たくなった。
「よし、入ってみよう!」
意を決した(笑)私は店の階段を昇って行き、重厚そうなドアノブに手を掛けた。
「ゴクゥ・・・」
何故か緊張して思わず唾を飲み込み、
そして、ゆっくりと扉を開いていった・・・・・・・。

「キィィィー、カラン、カラン・・・・」
甲高い金属音を響きかせながら、開かれた扉の向こうに広がるフロアは、
明らかに自分が生まれてこの方、味わった事の無い空間だった・・・・・。
昔映画かテレビで描かれているのを見た、大正か昭和初期の喫茶店風景其の物がここにある。椅子やテーブル、調度品や天井を回る空調の4枚 羽・・・・。
壁に貼られたポスターやブロマイドの数々、それら全てが遠き時代の物ばかり・・・・。
まるで店の中だけ、時の流れが止まっているかに感じさせる・・・。
元は鮮やかな色彩を放っていたであろう、小窓の褪せたステンドグラスから
差し込む木漏れ日が、よりアンティーク喫茶店らしいセピアな雰囲気を醸し出している。

「いらっしゃいませ、どうぞ奥へ」
店のカウンターに立つマスターから声が掛かるまで、
入り口で立ち止まった間々だった事に気付き、照れ笑いを浮かべながら席に着く。
当たりを見渡すと、マスター以外に御客は私一人だけのようだ。
「ご注文はお決まりですか?」
「アイスコーヒーを下さい」
ハイと小さな返事の後、カウンターで準備を始めるマスターの姿を静に眺めていた。
かなり御年を召されているようだが、温和で上品な紳士と言った印象を受けた。背筋も伸び、スッキリとしたスーツ姿に蝶ネクタイ。
正に大正映画の登場人物を観ている気分になってくる。

「御待たせ致しました、ごゆっくり御寛ぎ下さい」
為れた優雅な手つきで、テーブルにアイスコーヒーを入れたガラスコップを
置く様に見惚れてしまい、我に返ったのは店内に流れ出したジャズの音楽を耳にしてからだった(笑)。

私が店に入った当初は只静まり返る状態だった。しかし、蓄音機から流れる
ジャズのレコードが、この店の雰囲気を華やいだ雰囲気へと変えていった。
「何だろう、とても不思議な気持ちになる」
自分が生まれるより遥か昔から続く空間、知るはずも無い物に囲まれているのに
何故懐かしいと感じるのだろう?
客の入店に合わせて掛けてくれた、マスターの粋な音楽の演出に魅せられ、
この場の雰囲気に酔いしれてしまったからかも知れない。

ユッタリとした時間を共有しながら味わったアイスコーヒーは、正に至福の味でした。

ここがスッカリ気に入った私は、暇を見つけては良く足を運び、
マスターとも親しくなって、楽しい時を過ごして行きました。
専門学校を卒業後、そのまま神戸で就職した私は、用事で店の近くに来れば
必ず顔を出すようにしていましたが、だんだん学生のように時間の自由が
効かなくなり、店に行く回数も見る見る減って行きました。
実家が商売をしていた私は家業を継ぐ為、途中で神戸の会社を辞めて姫路に
戻り、それからは喫茶店にも通うことも少なくなりましたが、温かい交流は続いて
いました。そう、あの震災が全てを飲み込んでしまうまでは・・・・・。

「1995年1月17日、午前5時46分」
関西に住む人間にとって風化させてはいけない記憶、阪神淡路大震災。
多くの人命を奪い、家屋を奪い、生きる希望を失わせた悲しい出来事。

幸い姫路は被害の少ない地域で、家族や住居、職場に害は有りませんでしたが、
神戸に住む知人、友人を私は震災で亡くしました。
その中に、喫茶店のマスターも含まれていたのです・・・・・・・・。

震災が起きた直後、私は居ても立っても居られぬ思いで神戸の友人達に
電話を掛け捲りました。でも繋がらない、電話線が寸断されている為でした。
「こうなったら直接行って確かめてくる」
家族の制止を振り切って、バイクで神戸へ乗り込みました・・・しかし・・・。
目の前に広がる景色は、まるで空襲を受けたような壊滅的な町の姿・・・。
胸の奥に広がる絶望感は押さえようもなく、炎上する町の中を、陥没して
思うように走れない道路を必死に進みながら辿り着いた先に、
跡形も無く崩れ落ちた喫茶店の残骸が残されていました・・・・・・。
「こっ、こんな事ってあるかぁー!!!」
叫び声を上げながらマスター達の姿を探すと、崩れ残った柱に張り紙が
ぶら下げてあるのに気付いた。そして、其処に書かれていた内容に
言葉を失った・・・・・一番恐れていた結果が起こってしまったからだ・・・・。

消防隊や自衛隊の活躍で瓦礫の下から救助されるも、マスター夫婦の死亡が
確認された事が紙に書かれ、遺体の安置場所が記載されていた。
「糞、間に合わなかったぁ・・・・、クソォォォ・・・」
ヘルメットを地面に叩き付けながら、溢れる涙を、悲しみを抑えることが
如何しても出来なかった。

店の瓦礫の前に座り込んだ間々動かない私に、一人の老女が声を掛けて来た。
「ありゃ?あんた何時も御店に来てた兄ちゃんと違うか?」
涙顔で声の主に振り向くと、喫茶店で良く御会いした常連さんだと思い出した。
「おばあちゃん、無事だったんですか?」
「お蔭さんで生きとるよ。でも、ここの主人らは、気の毒やけど助からんかったわ」
「・・・・・くやしいよ、俺、何にも出来んかった・・・・・・」
「もう、お別れは済ましたんか?」
「・・・いや、未だやけど・・・」
「それなら一緒に行くか、私も今行くとこやさかいに」
「分かりました、ご一緒します」
そうして二人で震災で亡くなられた方が集団安置してある場所へ向かった。

重苦しい悲痛な空気漂う会場の中、案内されて辿り着いた棺の中には、
静に眠る夫婦の姿がそこに有りました。
案内役をしてくれた自衛隊員が直接救助に携わり、彼の話によると遺体の損傷は
見た目殆ど無く、家屋の下敷きに為った際の圧迫による心不全が亡くなる原因に
なったのではないかと説明してくれた。
そして彼もこの店が、マスターが好きだったと涙を浮かべながら敬礼をして去っていった。
「・・・御免・・・マスター、俺、間に合わなかったよ・・・助けられなかったぁ・・・」
声を掛ければ起きてきそうなのに、彼の目は永久に開かれる事は無い。
悲しみ、後悔の念だけが心に過ぎる・・・。
でも、そんな気持ちを救ってくれたのが、共に居た老女の言葉だった。
「マスターは何も責めとりゃせんよ。あんたの責任じゃない」
「・・・でも・・・」
「それを言うなら、近くに居たアタシらも同罪や」
「・・・・・」
「でも見てみぃ、マスターの顔、いつもと変わらず良い顔してるやないの」

たしかに、苦しみぬいた表情は無く、満足そうな笑みさえ浮かべていた・・・。

「きっと幸せやったと思うよ、この人の人生は。いつも口にしてたの覚えとるやろ」
「・・・自分は、良いお客さんに恵まれて幸せやって・・・・」
「そうや、いつも言ってたの聞いてたやろ。それは亡くなった今も変わらんと思うよ」
「・・・・・」
「悲しい気持ちは皆同じや。だからこそ、笑顔で見送ってあげような、兄ちゃん」
「・・うん・・・」
「一緒に逝った奥さんと、仲良く向こうで御店を開いてるわ、きっと・・・・」
「そうやね」
そうして静にその場を離れ、姫路へと帰って行った・・・・・。

*****************************************************************************

ハッと我に立ち返ると、時間は夕方近くになっていた。
どうやら居眠りをしてしまったようで、手には例の礼状があった。
目の辺りがカサ付くので触ってみると、涙の後がクッキリと残されていた。
どうやら思い出し泣きをしていたみたいだ(・・・我ながら恥ずかしい・・・)。

「・・・・また、あのアイスコーヒーが飲めたら良いなぁ・・・・」

そう呟きながらアルバムに葉書を挟み直し、再び思い出は記憶の中へと戻り行く。

・・・そして今は夢の住人となった彼の御店へ、時々遊びに出かける私がいる・・・。
・・・忘れえぬ一時を、今宵も味わう為に・・・・・。

「いらっしゃいませ」
笑顔で迎える素敵な御店が、貴方の前にも現れますように。

(了)


<編集後記>
米工房の久保元宏様
姫路のインテリ御飯ライター、原田圭一です。

突然、予告と違う長文を送りつけて申し訳有りません。
つい昔のアルバムを捲っていたら、この出来事を思い出してしまって
書いてみたくなりました。

秋は読書のシーズンですから、一応短編集として、自分の過去の体験談を
元に話を書いて行こうと思います。
本当は京都ネタを終わらせてから送るつもりが、こちらが先に出来上がって
しまって、順序が逆になりました(笑)。

遅れながらも宣言した以上、放浪編も完結させて送りますから、
期待せずに御待ち下さい(・・・ちょっと、意固地になる私(笑)・・・)。

この作品に対す る御意見、ご感想を御待ちしております。



風の旅人、この胸に去来する思いは・・・ 2003 年9月4日(木曜日) 10:38Pm

「夜長月去り行く夏を惜しむかな」

暑い暑いと言いつつも、暦は秋を迎えていた。
残暑を感じる昼間を除き、夜は幾分か凌ぎやすくなり、
鈴虫たちの軽やかな音色の始まりが、移り行く季節を
感じさせる。
そんな心境から、自然に口から出た一句。
秋は人を詩人にさせる、魅力の季節到来です。




今宵も続く読書ネタ!(えっ、まだやるの・・・) 2003年9月4日(木曜日) 0:04Am

昨晩は目上の方にも関わらず、馴れ馴れしい言動の
文を送りつけまして、申し訳有りませんでした。
姫路市民を代表し、この場をお借りしまして、
謹んで御詫びを申し上げます。
これからも皆様に愛されるフリーライター為らぬライダー目指し、
お茶の間に愛と笑いを提供し続けてまいりますので、
ご支援賜りますよう、御願い申し上げます。

平成15年9月3日 放浪ライダー 風の旅人
(・・・日記より抜粋、自己反省文より・・・)


ウーン、またも脳の病が進行してるなぁ(笑)。
呆れ顔の久保さんが目に浮かびますわ。
どうも最近、自虐ボケにはまりつつあるようで(笑)・・・・。
それから、昨日の創作バカ劇場も楽しんで頂けたようで、
私も書き甲斐が有りました。
(・・・幼稚な文章で恥ずかしい限りですが・・・)

しかし素直に本題へと入れないのは問題かも(笑)。
前置きが長いと言うか、ひとつ笑いを起こしてからじゃないと、
主文を陳べないと言うのは、結論を陳べずに問題を先送り
する安っぽい政治家の演説に似てる気がするなぁ。
(・・・しまった、例えが悪すぎた。そんなに俺は酷くないぞ(笑)・・・)
※閑話休題

えーっと、仕切りなおして話を進めますね(笑)。
昨晩のメールで教えて頂いた久保さんの愛読書の中で、
私も好きな作家さんがおられました。
手塚治虫、大友克洋、吉田秋生の御三方です。

手塚治虫氏は説明要らずの人間国宝な方ですよね。
地元、兵庫県の宝塚市には手塚治虫記念館が有りますし、
今年の春からは鉄腕アトム生誕の年たる2003年を記念して
新作テレビアニメが放送される盛況ぶり。
良い作品は、時代を経ても古く感じませんね。

次に大友克洋、この作家の名前を聞けば、私の頭に浮かぶ
言葉は「AKIRA」で始まり、「AKIRA」で終わるかな(笑)。
他にも作品はありますが、この話が余りにインパクトが
ありすぎた気がしますね。

最後に吉田秋生、大好きな作品は「Banana fish」です。
この作家の描く人間ドラマは、読んでいて惹きつけられる事多く、
今も忘れられない物語のひとつとなっています。

結局全て漫画ネタですね(笑)。
でも日本人の生活習慣に深く溶け込み、
切り捨てられない文化の集合体だと思われませんか?
結果同じ知識を得る場合でも、理解し辛い百科事典を捲るより、
表現力豊かな漫画で見る方が楽だったりする事もある訳で、
漫画侮りがたしと言ったところです。
お子様向けな作品から、政治経済や学問、趣味や自然に関する物など、ジャンルは選び放題で すからねぇ。
余程の捻くれ者じゃない限り、労せずとも自分の好きな作品が見つかりますから(笑)。

今宵も御付き合い頂き感謝感激、それではお休みなさいませ。
姫路の住人 原田 圭一
 


読書の秋っ! 2003年9月2日(火曜 日) 10:23Pm

北海道 米工房 久保元宏様

毎度おおきに、元気にしてはりますか!
遊び上手は仕事上手、芸の為なら女房も泣かす!!
暑さにやられた姫路の商人、原田圭一です。
(・・・ええぃ、前置きが長い。それに、お前独身やんけ(笑)・・・)

失礼しました。
冒頭から、スベるの覚悟でネタ振りしてみました(笑)。

えっ、何故って?(・・・誰も聞いてないっちゅうに・・・)。
月は替わり、9月に入ったと言うのに秋は訪れる気配無し。
それどころか、今が夏本番と言った感じ。
蝉は鬱陶しいくらい鳴いてるし、茹だる様な蒸し暑さが続いているから、
気分転換にボケの1つや二つ、飛ばしとうなるっちゅうねん(笑)。
いったい何時になったら涼しくなってくれるのやら・・・やれやれですわ・・・。


本題から脱線してしまって申し訳有りません(笑)。
教えて頂きましたOCNアドレスに例のブツ、送りましたぜ久保の兄貴!
(・・・・こう書くと、凄く疚しい気分が出ますねぇ(笑)・・・・)
例えば、こんな会話で遊んでみたりして(以下台詞文)

兄貴;「おめえ、今度のコレ、中々良い出来じゃねぇか・・あぁ?・・」
弟分;「へへぇ、そうでしょ!兄貴に喜んでもらいたくて、良い所をビシっと
    撮ってきたんですわ!!」
兄貴;「わりぃなぁ、助かるぜ」
弟分;「水臭い事、言いっこ無しですわ、俺と兄貴の仲ですやん」
兄貴;「まぁな(笑)」
    舎弟の仕事に満足しつつ、次の仕事の構想を練る・・・そして・・・。
    「今日も遅くなっちまったなぁ、どや、久しぶりに飲んで行くか?」
弟分;「マジっすか?喜んで付き合いますわ!」
兄貴;「よっしゃ、今日はワシが奢っちゃる!!」
弟分;「いよっ!兄貴、太っ腹!!」
兄貴;「いいから行くぞ」
弟分;「へい兄貴!」
    
・・・蛍火ならぬ煙草火二つ・・・。
・・・昇る月夜に照らされて、長く伸びるは影帽子・・・。
・・・・・・この世の狭間に生きがい求め・・・・。
・・・・・・都会(まち)を流離う、闇の狩人・・・・・。
(完)
キャスト
兄貴;久保元宏
弟分(脚本・演出);原田圭一


えー、「即席任侠伝」で御座いました(笑)。
アホでしょ、時々自分でも頭に虫が湧いてるんじゃねぇのって、
思う時があるくらい、こんなネタがよく浮かぶなぁって感心しますもん。
ここ最近、お堅い文ばかり書いていたので、脱線してみたくなった訳
でして、関西人の宿命みたいなもんですかねぇ(笑)。
もし不快に思われたのでしたら、遠慮なく言って下さいね。

ところで話は変わりますが、普段どんな本を読んでいるか私に質問
されましたよね。逆に私から久保さんへ質問します。
あなたは普段、どんな本及び書籍関係を愛読されていますか?
趣味に関する雑誌等でも良いですし、漫画でも良いですよ。
(実は一週間の内、新聞と同じ位良く読んでいるのが漫画なんです私は)

ちなみに私の愛読漫画は以下の作品です。
「美味しんぼ」「夏子の酒」「頭文字(イニシャル)D」「Dr.コトー診療所」
「るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー」「動物のお医者さん」
はっきり言ってジャンルはバラバラですし、連載中の作品や
だいぶ前に連載が終わった作品など纏まりに欠くことだらけ(笑)。
たぶん知っておられる作品もあると思いますが、説明を始めると長くなり
ますので強制終了しますね。これらについて御質問等がありましたら
遠慮なく受付けますので宜しく。

それでは、御休みなさいませ。



風の読書人 2003年8月31日(日曜 日) 1:41Am

> それにしても、情景が目に浮かぶ文章です。
> 原田さんは普段は、どんな本をお読みなのですか?
> できれば、「生涯の読書、ベスト5」みたいな記事を書いてくれませんか?

■こう言う記事を書いてると、こう言う質問も出てくるんじゃないかって
気がしてました(笑)。
ウーン、そうですねぇ。特にジャンルを絞っている訳でも無いし、
気に入れば手当たり次第何でも読んでる気がするなぁ・・・。
(・・・何か節操無しって自分で告白してるみたいな気分(笑)・・・)
それも学生時代の頃の話で、毎日読む神戸新聞(地元の新聞)以外は
車(バイクや普通乗用車一般誌)に関する雑誌又は著書ぐらいしか読んでいません。
そう言いながら、最近買った小説が一冊有ったことを思い出しました(笑)。
田中芳樹の「創竜伝13<噴火列島>」(講談社ノベルズ刊)です。
昔から田中芳樹が好きで、他に「銀河英雄伝説」も良く読みました。
読んでてワクワクさせる、想像力を湧かせてくれるような作品が
私は好きですし、推理物なんかも良いですね。
また日本史(古代から幕末・明治維新)を舞台とした時代劇物も好きで、
特に幕末の動乱期、京都を舞台に活躍した新撰組の隊士達を描いた作品は大好きです。
その中で更に好きな人物(笑)は、新撰組副長「土方歳三」。
新撰組が掲げた「誠」の一文字の通り己が信念を最後まで貫き、
武士として幕臣として薩長率いる明治新政府戦い、箱館戦争で
散った稀代の英雄。今の函館・五稜郭を舞台に行われた戊辰戦争
最後の戦いで命を落とした彼の生き様に同性として強く惹かれています。
(※自主規制;好きなネタを語りだすと止まらないので強制終了(笑))



米工房
フォーラム
米の不作が報じられている中、
米工房のお客様に
ご意見をうかがってみました。
今現在の米相場の高値は明らかに人為的なものです。
60kgの玄米が1週間で7千円も値上がりするのは 異常です。
その一方で、北海道では大量のニンジンが破棄さ れました。
去年のタマネギに続いて、この理不尽な人間の行いにやり場の無い憤りを感じます。
本場銘米専門店 米工房  久保元宏(2003年8月30日)

神奈川県 碓井砂緒里さま からのE メール
2003 年8月31日

ですよね…食べ物を捨てるようじゃ、モラルも何もないで すよね。
この都会では、確かに非行の低年齢化(小学1〜2年生の非行児童?)とか、
暴力、万引き、反モラルに無感覚な親、押しつぶされそうな時代の変化の前で、
生きる意欲を失ってしまう人々の、心の崩壊が 見えます。
生産調整のために食べ物を捨てた、という事が
ニュースにもならないと考える人達の心の闇はどれだけ深いものでしょうか。

韓国では、ニラの生産農家が生産調整のために破棄するに忍びない、
とインスタントラーメンの会社に嘆願して、ニラは無償提供という事で
限定版「ニララーメン」を販売してくれた事がありました。
それを美談として放送してくれたテレビ局の関係者の努力もあり、
なんとか売りきったようです。1980年代終わりのエピソードです。
日本は、始めから人権後進国ではありますが、いつから人心が荒んでいる、
荒廃度において、先進国街道をつっぱしるようになったのでしょうね。

> ■国際貢献に使われる船に、戦車の代わりにニンジンや、
> 古米を積むことができないのが不思議でなりません。

国内でも食糧の確保したいNPOなどが、沢山あります。また、海外でも輸送手段さえ
確保出来れば、緊急に食糧を必要としているNPO・NGOが沢山あります。
でも、供給者側と需給者側の関係が全く構築されておらず、 それぞれの部分が
お互いを知らない、タテ社会のひずみ、ぷっつりと切れたヨコのつながりの希薄さが、
命ある人参を犠牲にしてしまったのでしょうね。哀しいことです、ホントに。
これは、だれかヨソの国や地域の、ヨソの人のせいではないです。
明らかに、日本人(住民)による、日本人のための問題です。

> ああ、余計なことを書いてしまった。
> 不快でしたら、お忘れください。
> ただ、我が社は、作る喜びと、食べる喜びを、
> それぞれが最大限の状態でめぐり合って欲しいだけです。
> そして、微力ながら、この秋も真剣にとりくみたいと思っています。

余計ではなく、必要な事です。
お米屋さんは、アジアのどこの国でも、
国民の生活の基盤をささえる、
大切な社会的使命をもっています。
これからも、がんばってください。



付記
1. 私は、現在の米及び農産物の流通機構だけが変る事が出来る、
  とは思っていません。特に米の流通機構は、政府、市場関係者が
  日本の農村と都市が互いに文化的に隔絶された空間で あることを利用して、
  そのあいだを取り持つような形で、時に暗躍して来たと思っています。
  それも、江戸時代から綿々と。もしも、流通機構が変るとすれば、
  農村も根本的に変らなくてはならないでしょう。
  多くの農村にとって、変化は痛みをもたらすで しょう。
  第2次世界大戦で空襲を受けなかった分、農村は都市よりも痛みを感じる
  かも知れませんが、それは仕方がない、という論点から見た意見なので、
  そこをゆがめないで下さい。
  (農村では、都合のいい変化は歓迎するが、痛みはいやだ、という意見が
   大勢を占めているが、私にはご都合主義としか思えません。)

2.グローバル経済機構や世界との関わり合いに関して、賛成・反対という内容では
  ありません。ただ、お米の場合、やっぱり出身国産、 又は類似品種のもの
  だけをおいしい、と感じる方が圧倒的な ようなので、お米に関する私の意見は
  どちらかと云うと味覚志向の考えに基づいて居ます。(滞日東南アジアの人は、
  日本の短い米は、日本製の電気炊飯器で炊かないと、おいしく炊けない、と
  信じています…真面目に。鍋でお国風に炊くと、ぺちゃぺちゃして、まずい、
  と言うのです!しかし、どんな日本人でも、日本式のご飯の炊き方を教えるのは
  至難の技です。たいていどの国でも、米と同量の水を入れて、「普通に」
  炊いていますから。)

兵庫県 原田圭一さま からのEメール
2003 年8月31日

■これだから日本人は度し難い、それも一部の者に限っての話ですが。
私も昨年のタマネギと今年のニンジンの件は存じ上げております。
世界には異常気象による水害や干ばつの影響で、田畑が全滅したり
砂漠化が進んで緑が失われ、飢餓が蔓延していると言うのに・・・・。
昔から日本の御役人達は国際感覚が著しく偏っていて、欧米列国には
嫌らしいくらい気を使っているのに、飢餓に苦しむ貧しい国々には
国家レベルで見向きもしない。民間レベルではNGOなど が
必死に援助物資を送っているのにも関わら ず、余った食材を生かそう
と言う努力もせずに、平気で愚考を繰り返す有様。
怒りを通り越し、情けないとしか言い様がありません。

北の大地で農家の人達が、毎日汗水垂らして作り出した人の命を繋ぐ食材達。
タマネギもニンジンも、かけがえの無い生物で あることに何等変わりありません。
姫路の風の旅人「タマネギもニンジンも、かけがえの無い生物であることに何等変わりありません。」
たとえ収穫数が多かろうが少なかろうが、それによって市場価格の暴落を
招くと言う理由で、何等利用手段を考えず破棄して良いはずが無い。
こう言った事を平気で行う日本と言う国は病んでいるとしか思えません。
何より野菜を作った農家の人々に、役人は心から詫びて欲しい。
彼らから、物を作る喜びを奪う行為に等しいのだから・・・・。

街中に住む私以上に、農家の人々と共に生きる久保さんの気持ちは
切実なものだと思います。
それでも私達のように、真剣に今の世を憂う世代も大勢いるのです。
たとえ歩みは遅くとも、
正常と思える未来が近づく事を願って生きて行きましょう。
私自身、
今語った事が気休めにしかならない現状で ある事は良く理解しています。
それでも久保さんのように、苦しみ悩む人の心安めに一役買えたら
本望ですね。
姫路の風の旅人、米工房にあらわる!



夏の京都、放浪編其の二「鱧(はも)に始まり鱧に終わる?」 2003年8月30日(土曜日) 9:56Pm

・・・暑い夏の昼下がり、ここは京都鴨川河川敷・・・・。

涼しげな川のせせらぎに惹かれた俺は、涼を求めて自然と
バイクを降り鴨川の土手に停めて、河川敷へ歩いていった。

木陰の下、河原に胡坐をかいて座った俺は、手にしていた
御茶のペットボトルをぐいっと飲み、ふうっと大きな溜息一つ。
そして対岸に立ち並ぶ川床を見て、先ほど食べた鱧(はも)料理
を思い出していた。
「美味かったなぁ!やっぱり夏の京都に来たら、鱧食べな年越されへんわ!」
ひとり分かったような、分からんような事を口走りながら御茶のボトルを
美味そうに一気飲み!!。
旬の味覚を京都の板前の冴えた技で味わい、満足感に包まれながら
味の余韻に浸っていた。


盆地である京都の夏の暑さは半端なものじゃない。
しかし豊かな水が流れる河原だけは、涼しげな風が心地良く吹いている。
なぜ京都の人達が、昔から川床を夏に設けていたかが良く分かる。
少しでも天然の冷気を味わい、快適に京の夏を過ごしたい。
そんな思いから生み出された都人の文化なのだから・・・。

河原の心地良い風に身を任せながら川床を見つめ続ける俺の心に、
この夏訪れた北海道に住む友人達の姿が不意に過ぎった。

・・・数日前に出会い、また再会を誓って笑顔で別れた彼らのことが・・・。

「旬の鱧、食べさせてやりたいなぁ」
儚い夢と知りつつも、そんな事を思う自分に苦笑しながら立ち上がり、
土手に戻って、バイクに跨りキーを差込みスイッチ・オン。
セル・ボタンを押し「キュキュキュ、ブォォォン!」とエンジンを始動させる。
「さあて、行こうか!相棒さん!!」
気持ちを切り替えるようにバイクへ語りかけながら鴨川沿いを北へと走り出す。
今晩の食材「京豆腐」を仕入れに、都大路を駆け抜けて行った。
(夏の京都、放浪編其の二終・・・・次回へ続く!・・・・)


〜京都(関西)夏の旬「鱧(はも)」と鴨川の川床ついて〜

北海道 米工房の久保元宏様
北の心地良い気候が懐かしい風の旅人、
原田圭一です。

どうも御待たせ致しました、放浪編の第二弾で御座います。
何とか8月中に御届けする事が出来て、公約違反に
ならずに済みました(笑)。

ところで前回からバカの一つ覚えのように連呼している川床と、
鱧について説明しますね(笑)。
まずは川床なんですが、書かれた文章から大よその想像は
ついているんじゃないかとおもいます。
このメールに添付した鴨川の川床風景その1及びその2の写真を
見て頂けたら御分かりになると思いますが、要は川面の上にせり出した踊り場の事なんです。
こうして川から受ける涼風を少しでも多く取り込んで、夏の生活に生かそうとする京都人の知恵の産物なんですね。
本当に真夏の京都は暑いですから、
如何に川床が有り難い存在か肌で実感出来ますよ。

次に鱧についてですが、旬を迎えた魚だと言う点は分かりますね(笑)。
正直この魚を、どう分かりやすく説明すれば良いか迷いました。
幸いネット上で、鱧について分かりやすく説明されているサイトを
数件見つけましたので、一役買って頂く事に致しました(笑)。

ハ モ・はも(鱧)/旬マガ 旬の食材図鑑

ハ モのおろし方


言っておきますけど、楽をしようと手抜きをした訳じゃありませんから(笑)。
自分で書いた説明資料より、上記のサイトの方が写真付きで分かりやすく
書かれていたので、お勧めした次第です。
(・・・本当か?・・・・何か言い訳っぽい響きがあるなぁ(笑)・・・・)

あと川床以外の代表的な鱧料理の写真を数点、
メールに添付しておきますね。
これらを見て胃袋を刺激される事この上なしと思いますが、
是非夏の京都に入らして、本物を味わって見て下さい。

では次回夏の京都、放浪編其の三(完結編)。
「極みと言う名の京豆腐」に御期待下さい。


「夜高あんどん祭り」お疲れ様でした 2003年8月24日(日曜日) 9:23Pm

米工房 久保元宏様
姫路の生んだ放浪ライダー(笑)!
原田圭一です。

「夜高あんどん祭り」、お疲れ様でした。
私も近所に住んでたら見に行ったと言うか、
飛び入り参加(許されるのかな?)してました(笑)。

直接見れないのは残念ですが、送って頂いた祭りの写真などで、少しでも様子が伺えるだけでも有難いです。
お気遣い、心から感謝します。
それと此方から先日注文しました「きらら397」、今日届きました。


今日(8/24)、京都へ行ってまいりました。
実は帯広の知り合いのパン屋さんが、
8/20〜9/2の期間に京都大丸百貨店で催されている「夏の北海道市」に出展しておりまして、激励の意味も込めて様子を見に行った訳です。
しかし、まぁ暑いですわ。夏の京都は出来ることなら訪れたく無い場所の1つです よ。
流石に私もバイクで行くのは止めて、乗用車で行く軟弱振りを発揮せざるを得ない訳で、それ位真夏の京都は暑い!
蒸し暑い!!ワレ嘗めとんかい!!!と叫びたくなりました。
(・・・この日の気温37℃・・・湿度90%強・・・サウナに入ってると同じやないか・・・あぁ、体から水分が失われて行く(笑)・・・・)

パン屋の名前は「ますや」。ますやパンの愛称で親しまれている帯広の名店です (御存知ではないかと思いますが如何でしょうか?)。
姫路の風の旅人「ますやパンの愛称で親しまれている帯広の名店です♪」
少ない人数で孤軍奮闘していましたが、販売も好調なようで一安心。
私もお勧めのパンを数点買って帰りました。この店以外にも
北海道で直接足を運んだ又は毎年訪れている御店が何軒か出展
していて、ついでに立ち寄って来ました。

京都大丸店を出た帰りに、先日書いた「夏の京都は川床料理に
鱧(はも)ありなん」の続きを書く為、そのまま川床のある鴨川まで
歩いて行って、川床の写真と鱧料理をデジカメに収めて来るつもりで
家を出たんですが、京都の残暑の厳しさに途中でリタイヤし、結局
次回に持ち越しとなりました(笑)。
(・・・ちょっとまて!次回って何時やねん?早くせな夏が終わるで(笑)・・・)
そう言いつつも、京都の馴染みの京豆腐店へ豆腐を買いに行ったりと
小回りを欠かしていませんでしたが(笑)。
(・・・川床&鱧に続くネタとして、この豆腐店も次に紹介します・・・)

今度の週末に、もう一度京都大丸店に行くつもりですので、
其の時に鴨川へ先に訪れて最低でも川床の風景写真を撮ってきます。
余裕があれば鱧料理もデジカメに撮って、原稿と一緒に送りますね。
代わりと言っては何ですが、ますやパンの出展風景をデジカメで撮って
来ましたので、ほんの一部ですが京都で行われている北海道の
物産展風景を御覧下さい。




放浪の旅(笑)を終えて、昨晩自宅へ無事帰還致しました!! 2003 年8月17日(土曜日) 6:27Pm
北海道 米工房 久保元宏様

昨日(8/16)の夜に北海道の旅を終えて、自宅へ無事戻って参りました。
久保商店への慌しい訪問となりました事、御仕事中にも
関わらず、決め細やかな持て成しを頂きました事に改めて御礼申し上げます。
久保さんは正直な話、私に会ってどの様な印象をお受けに
成りましたか?風変わりな男だと思われたのではありませんか?
自分では普通だと思っていますが、人によってはそう言う
方もいますし、まあ別に構いませんけどね(笑)。

しかし、もっと色んな御話をして見たかったですね。
酒でも呑みながら、色んな雑談を交えてみたかった。
非常に短い時間での訪問でしたから、余計にそう思いました。
久保さん御自身に御会いして、興味を覚えたと言う点もあります(笑)。

来年は、もっとゆっくりと訪問又は沼田町近辺での宿泊も視野に入れた
スケジュールで北海道バイクツーリングを実現したいですね。
宿泊先等の手配で、久保さんに御協力を御願いするかも知れませんが、
その際は宜しく御願い致します。
来年再会するまで、またメールや御電話で情報交換の日々に戻りますが、
これからも変わらぬ御付き合いをして行きましょう。
御会い出来て本当に光栄でした。御家族の皆様にも宜しくお伝え下さい。


私達親子で巡る日本の旅に、また忘れられない思い出が刻まれました。
心より感謝の気持ちを込めて、この言葉を送ります。

「北の地に真心溢れる久保商店」
姫路の重度放浪癖ライダー(笑)原田圭一。

緊急事態発生!北海道上陸を阻む台風10号襲来!!
関西発の”風の旅人”さんか らのメールです。(2003年8月8日 金曜日 午後8:45)
風の旅人★米工房へ!〜関西発の”風の旅人”さんの豪快&グルメ&繊細な名エッセイ、本日も絶好調! 北海道の米工房 久保元宏様

台風10号が直撃中(8/8、PM8:30)の
姫路在住、放浪ライダー原田圭一です。
いやぁ〜、正直まいりましたね、今回の台風は・・・。

まともに近畿地方に直撃を食らい、そのまま日本列島を
縦断しそうなコースを進みそうです。
交通機関もマヒが続いて欠便や欠航のオン・パレード!!
その中で私を悩ませているのが、
北海道行きに利用予定の新日本海フェリーの運行状況。
現時点で新日本海フェリーの数便が欠航を決めています。
私が乗船予定の8/9(土)舞鶴⇒小樽航路は今のところ
運行予定ですが、今後の台風如何に依っては航行予定が大幅に遅れるか、
最悪の場合「欠航」になる可能性があります。

もし欠航が決まれば、今年の北海道行き自体が御破算になりかねません。

どうか無事スケジュール通りに北海道へ向けて旅に
出られますように祈っていて下さい。

追伸;祭りの団扇、届きました。
(一瞬、何を送ってきたのかと思いましたよ(笑))



夏の京都、放浪編其の一「夏の京都は川床料理に鱧(はも)ありな ん!!」 2003年8月4日(月曜日) 11:55Pm

「・・ア、アヅイ・・・」
あまりの暑さに意識が遠のく。
「・・・く、糞ったれ!目に汗が・・・」
被っているヘルメットは猛烈なサウナと化し、滝 のような汗が額を伝って、目に流れ込む

ここは先日梅雨明け宣言を受けたばかりの京都、鴨川は三条大橋交差点。
信号待ちをしていた俺は、真夏の京都の猛烈な暑さに晒されていた。
それに加え、乗っている大型バイクの廃棄熱が更なる暑さを生み、
さながらサンドイッチ状態と化していた。

「はよ信号変わってえなぁ〜、マジで辛いっちゅうねん!」
・・・口から出るのはグチばかり・・・そして・・・
やっと信号が変わり鴨川を渡り始めた俺は、ある物に気付いて橋の途中で
バイクを停めて、河原を見下ろした。京の夏の風物詩「川床」が軒を連ねている姿がそこにあった・・・。

川床とは、蒸し暑い夏の一時を心地良く過ごす為に京都の人々が考え出した癒しの一間。 いや、粋な空間と呼ぶべきだろう。
川を吹き抜ける風が、涼風から湿気を含んだ蒸し暑さに変わり始める頃に、
鴨川西岸沿い(先斗町側)の二条大橋から五条大橋間は、禊川の上に川沿いの店の床が並び始める。
川の流れや、水鳥の舞来る姿を見やりながら静かな時を過ごす昼間も良いし、
提灯に灯された明かりを頼りに、雅な時を過ごす夜も良し。
京料理やフランス、イタリアンに中国料理など、形に捕われず多彩なメニューが選べるのも魅力だ。
川面を渡る心地良い風に吹かれながら、美味い料理を味わい尽くしたい。
食を刺激された俺は、京料理を味わえる川床の御店へと向かった。
旬を迎えた「鱧」を味わう為に・・・(夏の京都、放浪編其の一終)。
(次回へ続く)


北海道の米工房、久保元宏様
姫路の食道楽兼放浪ライダー、原田圭一です。

どうも、6日ぶりのメールで御座います。
連日連夜に渡り、鬱陶しいくらいの珍文(?)を送りまして御迷惑をお掛け致しました(笑)。
それから若干日が開いてしまったのは、小生北海道へ行くまでに
片付けなくてはいけない仕事に追われていまして、告知したネタ文を書いている暇が無かったので御座います。

さて此処で「鱧(はも」と言う言葉が出てきました。
北海道の方々には聞きなれない言葉だと思いますが、関西では夏が旬の高級魚として定着しています。
詳しい事は次回の放浪編其の二で御話していく予定ですのでお待ち下さい。
今回は京都の郷土色溢れる川床について簡単ながら御紹介させて頂きました。
言葉だけで川床の魅力を伝えるのは非常に難しいのですが、一度体験されたら夏の京都の魅力に浸 れること間違い無しと言っておきましょう!!

では次回夏の京都、放浪編其の二「鱧に始まり鱧に終わる?」を御期待下さい。
(北海道へ行くまでに書きたいところですが、気紛れな筆者にて御免候!)



緊急企画!頑張れ星野さん!!2003年7月29日(火曜日) 6:34Am
・・・縦縞のユニフォームに背番号「77」・・・
・・・プロ野球一、熱血溢れる男・・・

・・・気迫溢れる姿から「闘将」と呼ばれ・・・
・・・選手からも畏怖される名監督・・・・

絶好調、阪神タイガースを率いる彼の名は星野仙一。
今や知らぬ人のいない「時の人」である。

毎年最下位に低迷し、地べたを這い続けた阪神。
期待倒れに終わった前監督の後を受け、「中日」の
顔であった彼が監督に就任した時は正直驚いた。
現役時代を通して、中日以外のユニフォームを
着る事は無いと思っていたからだ。

しかし阪神球団の「変わりたい」「勝ちたいんや!」の
熱い思いに心動かされ、監督人生次代の地に阪神を選んでくれた。

心溢れる指導の下、昨年は前半戦を首位で快走!
しかし、後半戦は故障者に泣かされリズムが狂い、
結果惜しくもAクラス入りを逃し、4位でシーズン終了。
最下位は脱出出来たので上出来かと思いきや、
「1位に(優勝)出きんかったら何位でも同じや」と
彼は言った。まさに阪神ファンを代弁する言葉だった。
そして、今年・・・。

現在首位を独走中!
優勝へのマジックも18年ぶりに点灯し、7/28現在「34」!!
勝率も7割を超え、2位とのゲーム差も18.5と驚異的!!!
そんな最中、先日の試合中に星野監督が倒れました。
眩暈や疲労を訴え嘔吐までされたそうですが、1時間ほど
席を外しただけで、試合中にベンチに戻ってこられました。
激務による過労とストレスが原因だそうです。

熱烈な阪神ファンの声を受け、ここまでチームを強くするには
物凄いプレッシャーとの戦いであったと思います。
それでも表情には出さず、どんな時も平常心で試合に臨んだ。
・・・たとえ心と体を犠牲にしても・・・勝利を掴み続けたい・・・

そんな彼に一日も早く心と体の休息日、喜びの日々が訪れる
ことを切に希望し、この言葉で締めたいと思います。

「星の夢願う心の道標」
エッセイ・ライダー 原田圭一


コンピュータのフリーズ状態で過去、
私も物凄く腹が立った事が御座います!!2003 年7月28日(月曜日) 11:27Pm
北海道の米工房、久保元宏様
毎度お世話になっております。

昨日(27日)、バイクショップで愛車のエンジンオイルを
交換してきた放浪ライダー、原田圭一です。

なるほど、パソコンがフリーズ状態に陥った訳ですか・・・。
折角、私宛に送ろうとした長文も夢の彼方に消え失せたと・・・。
報われない事、コレ如何にって気分でしょうね(笑)。

私も過去に何度か有りますよ、そう言う目に遭ったのが。
大分前にバイク旅のレポートを仕上げていて、仕上がる直前に
原因不明のフリーズ状態になってしまい、途中で保存や書き込み作業をしていなかったから、また一から書き直した事とか。
(・・・マジでパソコンをぶっこわしてやろうかと思いましたよ・・・)

最近は快調に動いていますので、一安心一安心(笑)。
(・・・あのなぁ・・・お前は一休さんか・・・)

人間如何なる時も平常心を忘れずに、落ち着いて行動しましょう。
(・・・だれが坊主の説教を聞きたいって言うた?・・・)

慌てなぁ〜い、慌てない!一休みぃ〜、一休み!
(・・・おのれは一休さんかて聞いてるやろが!!!・・・)

えー、ボケの三段活用乗りツッコミで御座いました(笑)。
先日告知したように次回掲載文は関西夏グルメと題して、
北海道の方には馴染みの無い関西地方の食材又は料理をご紹介したいと考えていま す。
(一応、私が北海道へ行くまでに第一弾を載せる予定です)

あまり期待せずに御待ち下さい。



〜エピローグ〜 受け継がれる思い・・・そして未来へ・・・  2003年7月25日(金曜日) 9:45Pm
・・・数多の感動と喜び溢れた時は過ぎ・・・。
・・・時は、また巡り来る・・・・。

「打ったぁー!3者連続ソロ・ホームラン!!」
甲子園に響き渡る大歓声!!!

其の中に、観客席から熱い眼差しを送る一人の男。
彼もかつて「虎」だった

「俺もあの中にいたんだよなぁ」
其の目に写る今の若虎達の姿に、かつての自分を思い重ねる。
「そして同じ事をやったんだよなぁ」
18年前、3者連続ホームランを達成した中の一人でもあった。
・・・・懐かしい記憶が鮮やかに浮かびだす・・・。

1985年、場所は同じ甲子園。
「打ったぁー!バック・スクリーンに3者連続ホームラン!!」
’俺’と掛布、岡田の三人で作り上げた記録、勝利へ続く布石となった。
神宮球場で決めたリーグ制覇!そしてチャンピオン(日本一)獲得!!
心から’ニッポン’でプレー出来て良かったと思う。
老いても尚、輝き続ける真摯な瞳。彼の名はランディ・バース。
今も阪神ファンに愛されてやまない’永遠の四番打者’。
今年の阪神戦を観戦する為、態々アメリカからやってきた。

・・・栄光の時から18年・・・遠ざかっていたあの感動・・・。
・・・今は若虎たちが見せてくれる・・・。
・・・かつて自分たちの姿に惹かれプロを目指した者達が・・・。
・・・俺達の思いを受け継いで行く・・・。
・・・今度は彼らに憧れる世代が・・・未来に・・必ず・・・。

一人静に、球場を離れる彼の背中に響き渡る「六甲おろし」。
幸せな笑みを浮かべる彼の心は、どこまでも夏空のような清々しさに満ちていた(了)。



とりあえず阪神ネタはこれで一旦終了!(・・・また気が向いたら書きますネ・・・)
次回は地元の夏グルメを紹介したいと思いますので御期待下さい。

追伸;私も米工房のファンです。



勝利へのプロローグ!虎は野に放たれた!! 2003年7月24日(木曜日) 11:19Pm
・・・夜毎、神戸の夜に木霊する歓声・・・。
・・・唸りを上げて舞い上がる、ジェット風船の群れ・・・。

・・・熱い応援に答えるため、彼らが行うことは只1つ・・・。
・・・そう、’勝利’という名の二文字を掴むこと・・・・。

・・・持てる力を振り絞り、全力投球・・・そして・・・。

「放送席!放送席!今日のヒーローインタビューです!」
満面の笑みを浮かべ、’勝者’のみ立つことが許された
お立台に立つ、縦縞の戦士達。

「サヨナラ」「逆転」「圧倒的」「大量得点」等、これらに全て
結びつく、今年の阪神タイガースを表す言葉は「勝利」。
・・・随分永い間・・・・忘れていた喜びが蘇る・・・。

そう、以前にも味わった事のある思いだ。
かつて一度だけ、阪神が日本一になったあの年。
日本中が阪神フィーバーに沸きかえっていたあのころ・・・。
プロ野球が面白いと初めて感じたのは、このころだったよなぁ・・・。
毎夜続く勝利の雄叫び、何時終わるとも分からない宴を見ている
ようだった気がする。

再び同じ喜びを得るまで18年、待った分だけ感慨深いものがある。
今シーズンが終えた時、いや今年が終わってから今後この年を
語る時に出るセリフは、きっとこんな感じかな。
「あの年は阪神、ぶっちぎりの強さやったなぁ!!」
今宵も勝利の余韻を味わいながら、夜空を魚に一献。

「杯に写し夢見る流れ星」
エッセイ・ライダー 原田圭一




今日も甲子園は満員御礼!! 2003年7月23日(水曜日) 11:17Pm22:46
「ふっ、また今日も勝ってしもうた!」
イヤらしい笑みを浮かべ、物凄く高飛車な態度を取る。
「他愛も無い、わしら阪神に勝てる球団は居らんのか。
強い、フフフ・・・、強すぎるで。いや他所が弱すぎて
話にもならんのう。くっ・・・はははは!」
(・・・血圧上昇!頭も若干壊れ気味?(笑)・・・)

7/23日(水)、蒸し暑い熱帯夜と貸した神戸。
今日も甲子園で阪神対ヤクルトの熱戦が繰り広げられた。
結果は稀に見る投手戦となり、最後は底力で勝る
阪神が11回裏にサヨナラ勝ちを収め、ホーム戦を
ヤクルト相手に3たてを食らわせて終了と相成った。

’今日’もテレビから流れる「六甲おろし」が耳に心地よく響く。
「良いのう!これほど気持ちを高揚させる応援歌は他に
無いで!!今日も酒が美味いっちゅうねん(笑)!!!」
「勝ちたいんや!」を合言葉に今期セ・リーグ首位を独走中の
阪神タイガース。18年ぶりの’優勝’の二文字目指して
ファンと一丸になり只ひたすら驀進するのみや!
星野はん、期待してまっせ!!
わてら何時でも道頓堀に飛び込めるように準備運動してます
さかいに。優勝盛り上げるのに’生贄’が’今回’も必要なら
道頓堀のカーネル・サンダース人形や食道楽人形も忘れず
抑えときますがな(笑)。派手な飛び込み見せまっせ(笑)!!!


こんにちは 姫路のエッセイ・ライダー!
原田圭一です。

久保さんが同じ阪神ファンと御聞きしましたので、
頭のネジが少々ぶっとんだ内容で始めてみました。
如何なものでしょう?
(・・・我ながらアホと言うか・・・関西人の性ですかね(笑)・・・)

何にせよ’今年’の阪神タイガースは見ていて安心出来ると
言うのが素直な心境です。今までも出足は好調で首位に立つ
事は有っても6月あたりで息切れを起こして、「死のロード」と
呼ばれる夏の高校野球全国大会が甲子園で行われている間、
ホーム球場が使用出来ない為に他球場を渡り歩く頃には
’定位置’と位置づけられた最下位に低迷し、シーズンを
終えると言うのが今までのスタイルでした。

散々某関東系(オレンジが目印)のチームにカモにされ、勝利を
奪われ続けた阪神。永い、本当に永い時を超えて蘇った猛虎が
金満主義のチームをボコボコにする姿は見ていて心地が良い(笑)。
(・・今年の横○は余りに勝利から見放され過ぎて気の毒ですが・・)

昨今、日本は悲しいニュースばかり報じられて気が重くなりがちですが、
唯一そんな思い空気を払いのけてくれるのが阪神の快進撃です!
力強い彼らの活躍に私達も元気を分けて貰い、踏ん張って行きますか!




方言は御国手形と言うそうな! 2003年7月22日 10:46Pm22:46

毎度、儲かってますか?
姫路の商人?原田圭一です(笑)。

> ■今日、大阪の知人から、大阪弁の教育をされました(笑)。

久保さんや北海道の方々も、関西出身の有名人が毎日テレビ等
に多く出演しているので、関西弁を耳にする機会が多いと思います。

関西弁と言っても地域毎に結構違いが有りまして、一般に北海道の
方々が知っている関西弁は大阪弁だと思います。
これは明石屋さんまを始めとする吉本興業の芸人達の全国区に
及ぶ活躍が大きな影響を与え、一気に関西弁をメジャー言語(笑)に
押し上げたのだと言えます。

ここで日本の言語学について細かい事を語る気は毛頭御座いません(笑)。
まあ関西弁を形成する(流れを組む)方言の二流として、冒頭に紹介した
大阪弁がまず一つ。そして次が京都弁です。

大阪弁が庶民の会話から生み出されていったのに対して、京都弁は
公家言葉が始まりとされているのが大きな違いです。

言葉の表現も簡単に例えれば、大阪弁はテンポ良く畳み掛ける口調。
逆に京都弁は穏やかで、上品な言い回しと言ったところ。
同じ内容を相手に伝える場合でも、上記のような差で相手に伝わる際の
感じ方が、全然変わってくるので不思議です。

> ※動きまへん。←「動きま」に続くのは「へん」やのうて「せん(わ)」。「動きまへん」っていう人もいるけど。

この場合「せん」は大阪弁。「へん」は京都弁になります。

> ※こら、あかんわ。←「それ=そら」ですんで「これ=こら」
> で合ってる。

これも大阪弁 ですが、同じ意味で「こら、あきまへんわ」と
綴ると京都弁になります。「あきまへん(わ)」は「出来ない」
の意味ですが、「あきまへん」だけだと「出来ない」「出来るか」
などキツイ口調を意味し、後ろに「わ」を付けるだけで「出来ません」
や「無理ですよ」と敬語のような表現(相手に対しての伝わり方)に
変わります。

> ※でけへんで。←「でけ」に続くんは「しません」やねん。で
> も「でけしません」だと敬語なので、「へん」の前にするんや
> ったら「でき」で「できへん」。「できひん」。
>
> 「もうかりまっか、ぼちぼちでんな」ってのは使たらまともに
> 相手してくれへんおっちゃんとかいますので…使うのはお勧め
> できひんねけど。使うこと…ある?

これもベタな大阪弁ですね(笑)。
(これが大阪弁の基本だと思っているんじゃないかな・・・他所の方々は・・)
流石に使うことは無いですね(笑)。
でも世間は不景気なのに、たまに忙しそうにしている会社やお店を見かけ
たら、冷やかすつもりで「儲かってるんやなぁ!偉い忙しそうやないの?」
「アホ言うたらアカンわ!貧乏暇無しって言うやろ?忙しそうにしとるだけ
ですわ!」と言う会話は良く耳にしますが・・・(この会話文、伝わります?)。
私が普段使っている言葉は京都弁の流れを組む播州弁と言います。

> ■さっそく、「訂正」&「更新(笑)」してみました。
> 写真がどーも上手くUPできずに苦しんでいますが、原田さんがよければ、さっそく米工房HPに紹介しようと思います。
> ご面倒でも、再チェックしてみてください。

紹介したいんでしょ(笑)・・・あそこまで準備されてるのに、
今更ダメなんて野暮な事は申しません(笑)。
ドカーンっと行っちゃいましょう!!

> ■私は釣りはやらないのですが、数年前にチカという魚を数時間で400匹(!)
> 釣って、地元の漁師をビビらせたことがあります(笑)。
> わが社の好川(よしかわ)という社員は釣りキチです。
> ご来社の時に会えたらいいですね。

御会い致しましょう(笑)!是非!!

> ホッケ、油ののった大きいやつに、ショウユをジュッとかけて、コゲたところをあつ あつのご飯で食べる!
> おいしいですよね!!

めっちゃ(凄い)美味いですよね!私、ホッケ大好きなんです!!
今夜も勝った阪神タイガースを魚に乾杯ダァー!!!
酒瓶と熱いバトルを今宵も繰り返すぜ・・・ふっ・・・。
お粗末様でした。



釣りキチ☆ライダー、ホッケの夢! 2003年7月22日(火曜日)

長く続いた梅雨も峠を越え、梅雨明け宣言を待つばかりとなりました。
いよいよ焼けるような日差しと肌に纏わり付く湿気に襲われる夏本番が訪れますが、ここ数日は割りと凌ぎやすい日々が続いています。
私も間近に迫りつつある北海道行きに合わせて、バイクのメンテナンスを自宅のガレージで週末行っています。
父はバイクなどお構い無しに週末は釣り三昧の日々を過ごしています。

父は大の釣りキチで、25フィートのマイ・ボートで瀬戸内海の家島諸島や小豆島 へ週末になると、釣行を繰り返しています。
もちろんバイクにも乗りますが、釣り仲間やバイク仲間の予定如何で週末がツーリングになるか、釣りになるかが決まります。

こんな父の元で育ったら、影響を受けない訳が無い!(笑)。
気が付けば、釣りキチでバイクマニアな子供が精製されていました(笑)。
私も年に何度か父と一緒に船で釣りに出かけますが、子供の頃見たいに夢中になる事は無くなりました。
今はバイクで週末ふらふらと日帰り旅を繰り返す方が性にあっていますね。

今、瀬戸内では真アジや丸アジが良い釣り物のシーズンに入りました。
根魚では無く、回遊魚ですので釣果にムラは有りますが、これから秋に向けて、船釣りや波止釣りを賑やかせてくれるでしょう。
シロギスも良く釣れていて、海水温が高い状況が続けば12月下旬までコンスタンスに釣れ続けます。

釣りキチな父と私の夢として「北海道で何時か大物釣ったるねん!!」って言うのが御座います(笑)。
ここまで読まれて「そりゃそうだろ」って思われたんじゃありません?
2000年に初めて北海道へ訪れた時も、
積丹半島を巡っていた時に見つけたホッケの開き自動乾燥機(・・・開きにした ホッケを挟んで、
電気モーターの遠心力で水分を飛ばしながら天日で乾燥させる機械です・・・)を見て、
親子で思わず「ホッケ釣りてぇ〜!!」って叫んでいましたもの(笑)。
私達の地元でも同じ機械を良く使っていますが、もっぱらアジの開きやカレイの開き作りに利用されています。
積丹で最初に見かけた時は、アジの開きでも作っているのかなと思って近づいて見たのですが、
ホッケと分かった時は「ここはやっぱり北海道なんやなぁ〜」とシミジミ実感させられました。
(・・・・だって姫路ではホッケなんて御目に掛かれませんもん・・・)

いつか釣竿とクーラーボックス搭載の愛車ZZ-R1100で「北海道釣り紀行」を実現してみたいですね。
心は釣りキチ三平(・・ふ、古い(笑)・・)。
幻のイトウも狙ってみたい魚ですし、今からだと鮭が良いですよね。
(・・・ちなみに久保さんは釣りはされますか?・・・)

面白そうな御話ですね! 2003年7月15日(火曜日)

北海道の米工房様
此方こそ度々御世話になっております。

Oh this is a KOME-KOUBOU!>写真、超クールですねぇ!
>私も、久保商店の写真を添付してみました(笑)。

■いい感じですねぇ〜!素朴な町の御米屋さんって感じが
とても良く伝わってきて私は好きですね。

>■お久しぶりです、元店長 中村です。
>お気をつけて北海道ツーリングをお楽しみくださいね。
ありがとう御座います、こちらこそ御無沙汰致しております。
申し訳ありませんが、久保さんが後日中村さんに御会いする
機会が御座いましたら、宜しくお伝え下さい。

>■すごい!さっそくありがとうございます。
>そして貴重なご意見。
>「塩」!なるへそです。
>ここで、塩の銘柄を楽しむのも面白そうですねぇ。

ちなみにトマト御飯を食した際に使用した塩は、一般に言う食卓塩の塩化ナトリウムで は有りません
伯方の塩」は御存知ですか?瀬戸内名産のミ ネラル豊富な自然塩です。
我家も塩には結構こだわりを持っていまして、料理に色んな塩を使っています。伯方の塩は其の中の一つですね。
元々姫路を含む瀬戸内沿岸は昔から塩作りが盛んな所で、私が小さい頃までは、海 岸線沿いに塩田が広がっていました。
しかし沿岸地域の工業化と塩作りの工場化で塩田は衰退し、今では兵庫県の
赤穂市(忠臣蔵で有名な城下町)の観光塩田で昔ながらの塩作りが見れる程度です。

最近は健康ブームの流れを受けて、大手スーパーや健康食品の専門店で
日本を始め、世界中のミネラル塩が手に入るようになりました。
自分の好みや料理又は使用目的に合った塩を選べる便利な時代となった訳です。し みじみ時代は変わったなぁ〜と思う今日この頃です。
自分で好みの塩を作ってみるのも楽しいですよ。私は昆布だしを煮詰めて作った塩が 好きですね。これは何にでも合う万能塩です。
てんぷらを天汁で食べずに、昆布塩で頂くと素材の旨味が際立って凄く美味しいで す。
京懐石では天ぷらを頂く際にも何種類かの塩を用意し、お客の好みにあった塩で召し上がれるような気配りがされています。
そんな中で京都らしさが際立つのが、宇治の抹茶を使用した抹茶塩です。
抹茶のサッパリとした清々しい風味が天ぷらの脂っこさを忘れさせ、口当たりを軽い物に変えてくれます。


>■これは圧倒的に「第二経路」がベストです。
>R275は国道とは言え、信号機も少ないし、走りやすいですよ!
>1時間半は違うと思います。

了解しました。
場合によっては結構早く着くかもしれません。
(・・・交通ルールを一応遵守したペースで進むつもりです(笑)・・・)
あまり早く着き過ぎてはご迷惑ではないかと思うのですが如何でしょうか?

トマトジュースで炊飯!本日の夕食で決行!! 2003年7月13日(日曜日)

北海道の米工房の久保元宏様。
こんにちは、姫路の原田圭一です。

お待たせいたしました(・・・と言う挨拶は変ですけど(笑)・・・)。
今日の夕食に「沼田町トマトジュース」二缶を使用した、
4合炊きの「沼田トマト御飯(仮称)」を決行しました。

味わった私の正直な感想は(関西弁で)、
「美味いわ!中々好けるでコレ!あっさりとした口当たりが良いし、
ほのかなトマトの甘みが御米と絶妙にマッチして食が進むわ」
と言った感じですね(笑)。

ただ自分の好みから言って若干味が薄い(炊き上がり加減によるものかも知れませ ん)感じがしましたので、少し塩を振って頂きました。
粉チーズやハーブをトッピングするのも手だと教えて頂きましたが、手元に無かっ た(買いそびれた)もので、
間に合わせに塩を使ってみたのですが、これが中々良くて美味しく頂きました。

また後日、トマトジュースを注文したいと考えておりますので、
そのときは宜しく御願い致します。

それから話は変わりますが、御聞きしたい事が御座います。
来月そちらへ行くと言う御話しを先日させて頂きました。
8月11日の午前4時に小樽港へ上陸。北海道バイクツーリングの初日
に当たるこの日は日本海ルート(オロロンライン)を通って稚内へ。
この予定を調整して久保さんのところへ寄らせて頂こうと御話しました。
それで御聞きしたいのは、久保商店へ到る経路についてです。
私が考えた経路は二つ有ります(下記を参照下さい)。

第一経路;小樽港⇒R5(小樽市)⇒R337(銭函)⇒R231(石狩市)
     ⇒R233(留萌市)⇒道道549・1007⇒R275(沼田)⇒久保商店

第二経路;小樽港⇒R5(小樽市)⇒R337(銭函)⇒R231(石狩市)
     ⇒R337(石狩市)⇒R275(当別町)⇒久保商店

※第一、第二経路とも久保商店を出た後にR233を留萌へ向かい、
オロロンラインを稚内目指して北上します。

新日本海フェリーは午前4時に小樽港へ到着しますが、実際私達ライダーが下船出来るのは下船順の関係上、午前5時頃です。
それから小樽で簡単な朝食を取ってから出発しますので、小樽を離れるのは遅くても午前6時前位だと思って下さい。
それから上記のルートを通った場合、どちらの方が早く其方へ着く事が出来ますか?
早朝ですが車の流れや信号の数、警察の取り締まり等(笑)も含めて、私達ライダーが快適に走れるルートを良ければ提示して頂けないでしょう か?

私としては二年前に走った経験上、留萌まで日本海沿いを走り、
それからR233で沼田町へ行く方が早いと思うのです。
但しコレだと再びR233を往復して日本海沿いへ戻らなければいけなくなります。第二経路は内陸、しかも都市部を抜けるルート。
交通量も多いと見込まれますが、早朝北上(旭川方面)する車両の数は多いのでしょうか。このルートの利点は往復する無駄な道が無いところで す。

距離的には殆ど変わらない(久保商店に辿り着くまでの距離)と思いますが、何せ時間がどれ位掛かるか其の一点に尽きます。
R337やR275は未だ走った事が有りません。ツーリングの日程上、
遅くとも午前8時半位には其方へ御訪問させて頂きたいと考えておりますので、我侭な御質問だと思われますが宜しく御願い致します。

追伸;毎年北海道を旅している時の姿(バイク込)の写真を添付して送ります。
記事に出ていた私は白黒でしたので、
カラーな私を御確認下さい(笑)。
いつでも、いらっしゃぁあ〜い!風の旅人★米工房へ!
(撮影日時;2002年8月12日、道の駅スワン44ねむろ)
最高のお褒めの御言葉ありがとうございます 2003年7月9日(水曜日) 23:33:38

姫路の原田圭一です。

FAXで送らせて頂いた記事、気に入って頂けたようで私も一安心致しました。

関西弁丸出しのベタな文章(・・・少なくとも私はそう思っています・・・)ですので、笑われるんじゃないかと。
しかし、最高と言って頂くと逆に照れくさくなります。
ありがとう御座いました。

私は3年前にバイクで北海道を初めて旅した時を皮切りに、
自分がバイクで巡った旅話を今回のようなレポートに書き残すように成りました。
自身が訪れた土地、四季の移ろい、郷土史や郷土の名物
料理、そして各土地で出会う地元の人々との触れ合い等。
自分が体験した事、感じた事などを飾らない普段の言葉で
書き記す。あえて標準語を多用せず、関西弁で表現する
方が自分の気持ちを自然に表せるんじゃないかと思った訳です。

今回御送りした記事は、三栄書房の編集担当さんのお陰でまだ読みやすくなっていたと私は思います。
(・・・編集前の私が書いた原文は、もう少し関西弁がキツイ内容で文章の量も 有ったのですが、掲載ページの都合でカットされてしまいました・・・)
不定期ですが、こう言うツーリングライダー向けの旅本に
レポートを掲載して頂いております。

> お父様はハーレーのユーザーなのですね。
> 以前、メールに書きましたが、私のイトコがアメリカ中の古いハーレーを集めて、リペアして販売しています。
> その世界は奥深いようですねぇ。
>
> また、お時間があるときにでも、いろいろ教えてください。

只今時間が御座いますので、御答え致しましょう!(笑)
5年前までは、実は私もハーレー乗りでした。
限定解除を果たし、大型バイクに乗り始めたのは今から7年前。
その時父と一緒に二台のハーレー・ダビットソンを購入し、親子で暫くハーレーツーリングを楽しんでいました。

世界の四大メーカーたるホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ要する日本。
そんな国に生まれ育ち、幼き頃から父にバイクの洗脳教育を施され、
気が付けば立派なバイクバカに成長?ハーレーに憧れたのも、
親父がアメリカンタイプのバイクが好きで、何台も国産のアメリカンを乗り継ぎ、
いつかハーレー乗りに成るんやと子供の頃から私に言い続けていたのが原因でした。

しかし、今ひとつ自分が求めている乗り味やキャラクターでは無いなと感じ始めた頃、地元のバイクショップで今の愛車と出会ったのです。

国産メーカーの1つ、カワサキ(川崎重工)のZZ−R1100D6と言う1100CCの大型バイクで、最高出力147馬力+α。
スピードメーター・スケールは320km/hと言うモンスターマシンです。
(・・・メーター読みで時速300km/hを振り切るまでスピードが出る
らしいのですが、国内で試せる場所は無いし、公道でもし試そうものなら即逮捕どころか、あの世へ旅立ってしまうでしょう(笑)・・・)

乗用車の世界で例えるならポルシェやフェラーリクラスと思って下さい。
「こんなバイク、俺には乗りこなせない」と心には思ったのですが、
結局一目惚れで、それまで乗っていたハーレーを手放し購入。

ZZ−R1100と言う名のバイク。
迫力あるルックスやマシンスペックとは裏腹に、ハーレーよりダントツに
乗りやすく、また自分が求めた乗り味そのものでした。
完全に乗りこなすのには半年ばかりを要しましたが、丸5年を経た今も飽きる事無 く乗り続けています。
(このバイクは兵庫県明石市の川崎重工明石工場製、地場産業品です)
父も最初に乗ったハーレーを3年前に手放し、新しいハーレーに乗り換えました。記事に出ていたバイクが今乗っている物です。

今、世界中でハーレー・ダビットソンがブームになっています。
今年はハーレー・ダビットソン創業100周年でもあり、記念モデルの発売(台数 少なく入手が困難)があったり、
世界中で記念イベントが開催され、日本でも4月に東京で行われました。
イベントでは歴代の古いハーレー(いわゆるビンテージ・ハーレー)が多数登場(全て自走可能)し、大いに盛り上がったそうです。

久保さんのイトコさんは、ハーレーの専門誌で以前見かけた記憶があります。
私も古いハーレーには興味があるので、御会いする機会があれば御話を
聞いてみたい気もします。父の方が喜ぶかも知れません。