風の旅人★原田圭一さん 2003年9月24日(水曜日) 〜2004年1月24日 姫路にお住まいのライダー
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第1巻;2003年7月13日〜9月20日 第2巻;2003年9月25日〜1月24日=このページです♪ 第3巻;2004年2月1日〜10月2日 「2004年夏 北海道 バイクの旅」1 「2004年夏 北海道 バイクの旅」2 |
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麺キチ・ライダー!再び出陣!明石ラーメン波止場・レポート・第二弾! 2004年1月24日 <前回の明石ラーメン波止場レポートより> 日頃からバイク・ツーリングを通して、全国各地の美味いラーメンを食する 機会に恵まれる反面、地元では美味いラーメン店が本当に少ない事に 日々憤慨していたオイラ、自称麺キチ・ライダー(笑)。 「何でやねん?何でモット美味いラーメン屋が姫路近辺に無いねん?」 毎年夏に訪れる北海道を始め、過去訪れた九州や中国地方などは、 独自色を強く打ち出した「御当地ラーメン」と呼ばれる素晴らしい料理が 数多く存在するにも関わらず、俺っちが住んでる姫路を含む播州地域にゃ、 美味いと人に勧めたくなるラーメン屋が本当に少ない、否、限りなくゼロに 近いと言えますわ。断って措くけど、ラーメン店の数は姫路だけでも結構な 件数が在りますねん。決して絶対数が少ないっちゅう意味じゃ無いのよ。 そやけど、それだけ数が在ってもね、みんな似たり寄ったりの味で、 オマケに「不味い」の一言で片付けられちゃう店が大半を占めちゃう(TT)。 特に酷い「ハズレ」な店に行き当たってしもうた時にゃ、 「二度と来るかぁぁぁ!銭返せボケェェェ!ワレ、ほんまに自分が 作って客に出しとるラーメンが絶対美味いと思っとるんかい!?」と 店の主に向って本気で怒った事も過去御座いました(笑)。 またここで一言お断りしておきますけど、俺っちは別に気が短い人間でも 切れ易い危険人物でも無いので、これを読まれている方、誤解なさらない よう御願いしますわ(笑)。とにかく、去年の12月5日にマイカル明石に 「明石ラーメン波止場」が出来た事で、やっとこさ、その不満は解消されたと 言う訳です(^^)。 話は初めて明石ラーメン波止場に行った時の事まで遡りますけど、 このフードテーマパークは瀬戸内ラーメン店と全国有力ラーメン店が 技と味の対決を繰り広げると言うコンセプトになっております。 瀬戸内ラーメン店の顔ぶれは以下の通りです。 ↓ 徳島ラーメン「東大」、広島ラーメン「めん屋 若貴」(期間限定店)、 讃岐らーめん「はまんど」、久留米ラーメン「満州屋が一番」。 そして、これに相対する全国有力ラーメン店が以下の通りとなります。 ↓ 旭川らぅめん「青葉」、宮崎ラーメン「風来軒」(期間限定店)、 東京ラーメン「義薫」(期間限定店)、東京ラーメン「麺屋空海」。 以上の計8店舗で、昭和初期の明石港をイメージした波止場を 舞台に、ここでしか体験出来ないラーメンの世界が展開して行くのです。 そして前回初めて訪れた時は、最初に全国有力ラーメン店側の宮崎 ラーメン「風来軒」でとんこつラーメンを一杯、そして瀬戸内ラーメン店側の 久留米ラーメン「満州屋が一番」でとんこつしぼりラーメンを一杯食した。 共に九州地方で、九州と言えばヤッパリとんこつラーメンでしょうって事で、 普段地元で不味いとんこつラーメンしか食った記憶が無い俺っちの期待は 半端なモンじゃなかった。そして、その期待は味わった瞬間、想像を遥かに 超えた所まで喜びが昇り詰め、我を忘れ味の余韻に浸る事で報われた(笑)。 いやぁ、参ったわ全く。美味過ぎてお兄さん、思わず昇天してしもうたわ(^^)。 調子に乗って暴飲暴食(笑)に走り、猛烈な満腹感に襲われながらバイクで 帰路に付いた麺キチ・バカ・ライダー御一行では御座いましたが、次回の 宣言をして去年のレポートは終了していた事を覚えているかな? ・・・だって、まだ二件のラーメンしか食ってないじゃん!・・・。 そうよ、未だ行ってないラーメン屋は6件も在るし、それに各店毎に ラーメンの種類も多数有るんだから。前回で終わりって事は無いに 決まってるやん(笑)。 へっへっへ、由って第二弾が大決定!行くぜ、明石ラーメン波止場へ! オラぁ、野郎ども、モタモタしとったら捨てて行くどぉぉぉ・・・・・(叫)。 仲間を引連れ、今年最初のマイカル明石・ラーメン波止場巡礼(笑)が、 慌しく幕を開けた(^^)・・・・・・・。 <唸りまくりの明石ラーメン波止場レポート第二弾> 「寒い時は、やっぱりラーメンでしょう」 良いねぇ、この台詞。爺臭い事、この上無しって感じが出てて良い(笑)。 新年を迎えてから暫く全国的に暖かい気候が続き、北海道ですら雪が 少ない状態が続いていて、恒例の札幌雪祭りの雪像作りに使う雪不足 を心配する声すら上がる状態が続いていたそうですが、その後猛烈に 発達した低気圧及び寒波が北海道を始め日本列島に猛烈な大雪と北風、 激寒を招来させた。姫路も平野部で積雪すら無かったんですけど、日中で すら気温がマイナスを記録する日が続いて、水道管や路面凍結が起きて 結構大変でした。北海道の方から見れば「そんなの冬じゃ当たり前じゃん」 と仰りそうですけどね、こちらでは真冬でもバイクに乗れるくらい「温暖」な 気候が売りの土地やのに、日中で−6度とかなると、普段こんな寒波に慣れ ていないから皆慌てちゃうねん。「ふん、たかが−6度くらいで軟弱な」とか 思ったアナタ、それは甘い考えでっせ。冬が暖かいと言うことは、夏がどれ だけ「暑い」かって事に繋がるんやで!どちら地域にも一長一短が有る訳 やから、一概に俺の地元が住み易いとは申しませんので、北海道の方々、 分かってや(・・何がって思いっきり疑問系でツッコミありそう(笑)・・)。 ※閑話休題 えーっと、何が言いたかったんやっけ(笑)。 せやせや、ラーメンを食いに行くって話しをしてたんでした。 俺とした事が、肝心の事を忘れて何を熱弁奮ってるんや全く。 それでは、改めて御話致しましょう! 寒い日が続くと、体が温まる食べ物が欲しくなりますよねぇ。 年明け早々、バイク仲間と家で集まって酒を飲んで歓談していた時の 話題で、寒い時に食いたいモンと言えばって話の流れになったら、 「そんな時は、美味いラーメンと相場が決まっている」とバイク仲間の 一人が言い切りおった。確かにコイツの言う通りやと俺も思いました。 それから去年の暮れに行った明石ラーメン波止場の話題で盛り上がり、 「それじゃ、1月24日(土)にまた行こうや」って話に成り、今日この日を 迎えたと言う訳です。 1月24日(土)、姫路の天気は快晴。気温は午前7時現在で−3度。 そしてオイラも快食快眠快便の絶好調な体調で週末を迎えたぜ(笑)。 「寒いけど気合は十分!猛る血潮で寒気を打ち消す!」 朝っぱらから神経を疑われそうな台詞を吐きながら、鼻歌交じりで ガレージから自慢のバイクを引き出してくる。 ・・・そして、コイツを起こす・・・・エンジン・キー差込・・・スイッチ・オン・・・。 ・・・目覚める、魂の咆哮と共に・・・・俺のカワサキ・ZZーR1100D6が・・・。 「キュキュキュ、ブォォォン・・・・グォン・・・グォン」 バイクの目覚めの音を聞き、俺のテンションも更に上昇! 「さぁて、そんじゃさ、明石ラーメン波止場の第二弾!行ってみますか!」 と俺が音頭を取ると「OK!」と全員合唱(笑)。 これ以上、家の前で騒ぐと折角旨くいっている近所付き合いを悪化させかね ないので、そそくさと出発致しました。 道のりは前回と全く同じなので説明は省きますけど、キッチリと明石ラーメン 波止場の営業開始時間に合わせた午前10時にピッタリと到着。 むさ苦しい男の集団が、ドカドカと明石ラーメン波止場内へと侵入を開始した。 (・・何で大層な言い回しをするのよ。妙な無理ボケ好きやねぇオマエ(笑)・・) 流石に開店早々は御客が少なく、どの御店も待ち時間無く選び放題。 俺達は8店舗全てが見渡せるフロアの中心に一旦集まり、皆で何処に入るか 色々と意見を出し合ってみた。 ↓ 「取り合えず、前に入った所は今回無しってことで」 「そうやね」 「・・となると、残り6店舗からってことやけど、どうする?」 「迷うなぁ、どれも絶対美味しいのは間違い無いやろし・・・」 「前回はこってり系のラーメンやったから、今回はあっさり系で行ってみるか」 「それ良いじゃん!」 「俺も賛成」 ↑ そうして意見が纏まり、あっさり系のラーメン店を二件、各一杯食すって事に なりました。先ず一件目に白羽の矢を立てたのは瀬戸内ラーメン店の讃岐 ラーメン「はまんど」。讃岐と言えば今、全国に讃岐うどんブームを巻き起こす ほど有名な本場・讃岐うどんの地。ラーメンとは無縁の所と言った印象しか 持ち合わせていないので、この讃岐ラーメンは何の予備知識も持ってない。 香川・讃岐には過去何度も訪れているんやけど、うどんは食すことがあっても 讃岐ラーメンなんて聞いたことも無かった。それだけに、全国ラーメン店ラン キングでも上位に食い込むと聞いた「はまんど」のラーメンを是非食べてみた くなったのさ。一番客として御店に入り、カウンター席に着いた俺達。 そして先ほど店先の食券買機で買い求めた「讃岐コーチン味玉ラーメン」の 食券を店員に手渡す。ここのラーメンは太麺と細麺の二種類が用意してあり、 自分の好みで選択可能。ちなみに俺達は太麺をチョイスしました! そして、このラーメンに具材としてトッピングされる煮タマゴは何と聞いて吃驚! 讃岐コーチンの卵なんですって!? ちょっと、讃岐コーチンって何? 名古屋コーチンなら知ってるよ、鶏の一種ですよね。けど・・・、讃岐にも居たの? それって如何なの?美味しいのかな?物凄く興味でたぜ、食いてぇぇぇ! ごく普通の「はまんどらーめん」も選べたんやけど、この見た事も聞いた事も 無い不思議な食材に目を奪われ、つい選んじゃいました(笑)。 待つ事数分、ほのかな繊細な香りを携えながら、御希望の品が俺の目の前に 現れましたぁ。明らかに前回の鼻にグッとくるコッテリした臭気は感じない。 見た目からしてあっさり感漂う仕上がりのラーメンで、スープも澄んでいる。 スープは鶏がら、とんこつの肉系スープに複数の魚介系スープをブレンドした Wスープと御店のパンフレットには紹介してあった。 「よし、では食ってみるか」と最初に、一番注目しているスープを一口啜る。 「・・・へぇ、これは中々・・・」と思わず、関心してしまう味だった。 スープを飲んで最初に感じたのは、魚介スープの味、魚の風味を色濃く感じた。 これは決して魚特有の生臭実が出ているとか悪い意味合いでは無く、むしろ逆に 魚が持つ旨味、香ばしさのような食感が感じ取れたんだ。だから最初の印象は、 ラーメンスープと言うより、うどん出汁に近いように思えたんだな。 でも、不思議な事に、何度もスープを飲み続けて行くうちに魚介の風味は薄れて、 その代わり段々と鶏がらスープを強く感じるようになり、最後は鶏がらの、肉系 スープの風味が味わう口の中を支配していた。始めと終わりとで、これほど スープの印象が変わったラーメンも初めてだった。ほんと、不思議な味だね。 そして、更に注目していた例の讃岐コーチンの煮タマゴ。 箸で一気に摘み上げ、バクッと一口分、口に頬張り・・・・・コ、コレは何やねん!? 「ちょ、ちょっと、オイ・・・」 後に言葉が続かず、隣で食う仲間に目をやると、皆一様に恍惚とした顔をしてる。 そう、半端じゃないくらい、めちゃくちゃ美味いの一言や。 生まれて30ウン年生きて来た人生で、間違いなく最高の卵を今日味わったんや。 黄身も白身も素晴らしく澄んだ味、黄身は濃厚且つとってもジューシーな味。 そして、それ以上に美味いと感じた白身の味。白身は黄身の付け合せと言うか、 オマケのように思っていただけに、こんなに白身が美味い卵があるなんて感激。 思わず、生コーチン卵で卵掛け御飯を食べたくなりました(笑)。 それから、このコーチン煮タマゴがラーメンに物凄く合う。そのまま食べても良いし、 ラーメンのスープに半熟の黄身を浸してから食ってもバッチリOKよ! 太麺も讃岐うどんのように十分なコシがあり、スープの愛称と良く自分好み。 見る見る内にラーメン鉢は空に成り、スープの一滴も残さず飲みほし完食しました。 「ぷはぁ、美味かったなぁ」 痺れるような旨味に包まれながら、俺達は二件目の店へと移動を開始した・・・。 あっさり系ラーメンの二件目に選んだ御店は全国有力ラーメン店の旭川らぅめん 「青葉」。北海道の方なら知っていらっしゃる方も多いと思いますが、創業が昭和 22年の老舗有名ラーメン店です。昨年の夏、初めて旭川をバイク・ツーリングした 時に、俺は現地で旭川ラーメンを食べました。その時は青葉では無く他の御店 だったんですけど、味わった塩チャーシューメンの美味さは今も忘れられません。 態々、旭川ラーメン村まで遠出した甲斐があったと言うもんでしたね。 (・・・兵庫県の姫路から見れば、恐ろしい位遠出してる距離やもんな(笑)・・・) 再び、あの感動を、それも地元で得られる機会に恵まれようとは・・・・・・。 俺の人生も捨てたもんやないなぁ(笑)。 (・・・ハァ、オメエの人生って、安っぽいモンやなァ(笑)・・・) 「さぁて、二杯目と行きまっせ!」 意気揚々と、青葉に乗り込んでいく俺達でした・・・・・。 俺達以外に既に何組かの御客が入り、店内は店員の活気に溢れる声で満ち 溢れていた。ここも厨房が良く見えるカウンター席に陣取り、注文を取りに来た 店員に店先で買った食券「塩らーめん」を手渡す。旭川ラーメンと言えば醤油 ラーメンが有名ですが、俺は醤油より塩ラーメンの方が大好き。よって旭川で 食したのと同じ、塩ラーメンをチョイスしました。再び、あの感動を我が手に・・・。 そう願って、俺の目の前に運ばれてきた塩らーめんに箸を付けた。すると・・・・。 「・・・ふっ、そうそう、コレなのよ・・・」 一口食って、思わず納得した青葉のラーメン。俺が期待した通りの味だった。 そう、北海道で食ってきた味と変わらない、美味しい塩ラーメンと此処で再会。 地元で味わう事の出来る北の味覚。自分と旭川を繋ぐ思い出の味。 塩味といっても、結構コクと深みのあるスープ。決して薄味では無い。 そう言った意味では、先ほど食べたはまんどのラーメンの方が断然あっさりや。 でも、口当たりは非常にサッパリ、後味も爽快で美味いの一言。 麺は細く縮れていて、スープに絡み易くて好印象。美味しいさ際立つポイントや。 ここのチャ−シューは薄切りやけど結構大きい。でも、口に含むと蕩けるくらい 軟らかく、トロトロな食感にオイラはメロメロッす(笑)。 もう、ひたすら食う事に意識を集中!そして、ラーメン鉢は即行で空、完食! 「ごちそうさまでした!!!」 大満足で、青葉を後にした麺キチ・ライダー達・・・。 流石に、もうコレ以上は無理と判断。予定通りに二杯で終了と相成った。 前回と違ってあっさり系ラーメン二杯だった為か、今回は満腹感だけで 吐き気は全く無しな我ら一同。胃は正直者ですねぇ本当に・・・・・(笑)。 それにしても、ここのレベルの高さには恐れ入りますわ。 「さて、次回は何処へ行ってみるかな?」と呟きながら、バイクに跨り姫路へ 向けて進路を取る。澄み切った青空、寒風を友に播州路を駆けて行った。 (了) <編集後記> 毎度、お世話になっております。 米工房の久保様、またもラーメン・ネタで御座います。 年明けから寒波襲来で、ほんと、嫌になっちゃいましたよね。 御蔭で様で、こちらも今年初のバイク・ツーリングが実践出来ずに苛々した 日々を過ごしていました。明石は私にとっては近所、お世辞にもツーリング と言える距離では無いのですが、B級グルメ・ネタとしては絶対外せない、 美味しいアイテムなんで、しつこく第二弾を実行致しました(^^)。 内容にすれば、なんて事は無い、要は二杯分のラーメンを食っただけ(笑)。 それだけの事なのに、何なのさ一体この文章の長さ? 前回より、遥かに長いじゃん。それほど書く事が有るのかって、自分に 言いたくなりました。でも、語りたいたいんだもん、美味いってさ(笑)。 次も明石ラーメン波止場ネタだと「オィ!」って怒られそうですから 止めときますね。私も流石に芸が無いと思っていますから(笑)。 これからの予定は未定ですが、寒い気候と相談しながら考えて行きます。 それでは、また! |
1月17日は阪神淡路大震災が起きた日。あれから9年の歳月が経ちま した。 2004年1月17日 土曜日 12:16Am 沼田町より、とっても暖かい気候で助かる姫路より、 原田圭一がお伝えします。 今日は何の日か、久保さんは御記憶でしょうか? そう、1月17日は阪神淡路大震災が起きた日。あれから9年の歳月が経ちました。 あれから9年経ったと見るのか、それとも9年しか経っていないとみるのか。 私にすれば、まだ昨日の出来事だったように感じます。それほど、時間が経過した印象を受けないのです。 以前に、震災で失った友人の事を題材にした話を米工房HPに紹介した事がありましたよね。 私には、まだ当時の思い出が余りに強すぎて、今と言う現実を受け止めきれていないのかも知れません。これは、何も私に限った話ではありませ ん。 1995年1月17日午前5時46分、そして時 間にして、たった13秒間だった直下型地震が多くの人命を、街を、人々の思いと幸せを一瞬で飲み込んでしまった。 残された我々被災者は、変わり果てた兵庫の町の復興と再生を願って生きてきました。 しかし、現実は厳しく、震災から9年を経た今も十分な復興を遂げたとは言えない状況です。 街は確かに綺麗になりました。一見すれば、復興は完了したんだと他所から来られた方は御感じになられるでしょう。 しかし、街には異様な位、多くの更地が点在しています。 震災前は、隙間が無いくらい住宅やビル、商店等で埋まっていた神戸の街の今の現状。土地の持ち主が亡くなり跡地利用の目途が立っていない所。 全開した住宅は自分名義だったが土地は借地だったので、大家との住宅再建話をしてみたが断られ、 神戸を出て行った方(実は、借地に自宅を建てられていた方が神戸では多かったの です)。 商売をしていたが、自宅兼店舗を震災で全壊。 その後も商売を続けて行く気持ちはあったが、高齢な事と十分な資金援助等が公的にも民間からも得られなかった為に復興を断念し、 土地を処分して震災復興住宅へ移り住んで余生を送る御夫婦など・・・・・。 そして、震災復興住宅で止む事の無い「孤独死問題」・・・。 数え上げたら切りがありませんが、今も震災は続いているのです。 横浜と並び称され、華やかな港町、お洒落な都市として姫路に住む私にとって憧れの街だった神戸。学 生時代を、社会人としての第一歩を刻んだ大事な場所。 家庭の事情で神戸を離れた直後に起きた悲しい出来事は、今も心から離れることは 御座いません。 毎年、この日の朝は必ず午前5時に起床し、地震が起きた午前5時46分に 神戸がある東の空に向って黙祷を捧げています。このとき何時も心に過ぎるのは、 楽しかった学生時代の神戸の風景。共に過ごし、震災でこの世を去った学友や知人達の事。 目頭が熱くなるのをこらえながら、黙祷後に東の空を見上げて必ず最後に誓うのです。 「俺は絶対に忘れない。幸せな時を過ごした、あの時代の神戸を・・・そして、皆を・・・」 頬に伝い落ちる涙を拭いながら、これからも生き続ける自分自身へ向けた思い。 どうか、こんな苦しみや悲しみ溢れる災害が、もう二度と起こらないで欲しい。 どれほど人類が栄華を誇ろうとも、大自然の力の前には無力なんだと思い知らされる出来事でした。 それでも、人は震災を教訓に多くを学び、力強い一歩を踏み出したと思います。 阪神淡路大震災から丸9年が経ち、いよいよ10年目の年に突入しました。 復興から10年、節目の年になるとも言われ始めていますが実際はどうなるのか分かりません。 今年からようやく、震災によって被災した住宅の復興支援制度がスタートすることも決まりました。 だだし、これは阪神淡路大震災にまで遡って適用される訳では無く、これから起きる災害に対してのみ適用されるのだそうです。 それもこれも、震災後に数多くの被災者達の気の遠くなるような地道な行政への働きかけがあっての事です。 自分達に適用される訳では無いと知りつつも、自分達と同じ苦しみを次世代にも受けて欲しくないと彼らは語った。 そんな彼らには、非常に頭が下がる思いで一杯です。ありがとう御座いました。 昨年は、北海道も災害に悩まされた年でした。 収穫期に台風と地震に襲われ、北海道は大変大きな傷跡を残しました。 2004年は、どうか何事も無く、静に過ぎて欲しいと心から願っております。 犠牲者を思い、幸せを願う「1.17」のロウソクの灯火が、天に届きますように・・・・。 「刻まれし光の誓い永遠に」 エッセイ・ライダー 原田 圭一 <ここから、いつも通りの私です(^^)> > >こちらも寒波襲来で、兵庫県も北部日本海側から山間部に掛けてドカ雪状態です。 > ↑ > ■ドカ雪って、何センチなのでしょうか? > 姫路も山がありますしネェ。 ↑ ■だいたい、積雪1mから2mくらいまでかな? 結構、兵庫県って雪がつもるんですよ。姫路は平野部では殆ど雪は積もりませんが、 郊外の山間部へ入ると世界が一変します。兵庫県は瀬戸内海と日本海に面した 数少ない県の一つですが、距離にしたら百キロちょっとしかありません。 それなのに、瀬戸内と日本海側とで全く気候条件が異なるですから面白いですねぇ。 > >真冬にバイクを駆る者こそ真のライダーさ! > ↑ > ■北海道は、ブラック・アイスバーンで、自動車すら転倒するので、バイクなんぞ、 とてもぉ〜。 ↑ ■そうそう(^^)。だから、私は北海道に住んでいないんですねん(笑)。 > >現実は違う。そうであって欲しいと言う願望に近い気がします。それでも、初めてバイクに乗り出した時から変わらない事実が > >一つだけ存在するのです。それは、何か・・・・・。 > ↑ > ■何事もそうですよね、ほんと。 > 象徴が虚像になるのって、実はそのものに罪は無いんですものね。 ↑ ■全くですね、私もそれが言いたかったんですよ。 > >それは「日常」から「非日常」への変化。日々の大半を仕事に追われて心も体も休まる > ↑ > ■でも、どちらも、原田さんの「人生=日常」ですよね。 ↑ ■ありがとうございます。 > >お互いに、幕を開けた2004年と言う年を頑張って行きましょう。 > >それでは、本年も宜しく御願い致します。 > ↑ > ■こちらこそ、今年も軟弱な私にカツ!を入れてください。 > では! ↑ ■一日で、米を300俵も担ぐ方が軟弱とは到底思えませんが・・・・(笑)。 分かりました、不肖ワタクシ、旅ボケ・ライダーたる原田圭一が、 時には厳しく、時には優しく(?)、米工房にお節介な弁を吐き、 嫌われ者にならない程度(?)に活動を行って行きたいと思います。 それでは、また! |
風の旅人!理性ぶっ飛び!大興奮の明石ラーメン波止場レポート! 2003年12月30日(火曜日) <ラーメンは、旅ライダーの主食なり?!> 「ほんと、日本人は麺好きやなぁ」 冒頭で行き成りやけれど、本当に最近ヒシヒシと実感させられる。ここ数年、急激な全国展開の広がりを見せる讃岐うどんブーム。北は北海道から 南は沖縄まで、讃岐本場で定番となっているセルフ式の格安な値段で食べられるスタイルが爆発的なヒットを呼び、その勢いは衰えを見せない。 けど、日本伝統のうどん以上に、日本人が愛してやまない麺料理がある。 ずばり、それは「ラーメン」だぁぁぁぁ(叫)・・・・(by猪木)。 失礼しました(笑)。 「うどんより、そばより、やっぱりラーメンが好き!」と言う方、結構多いと思います。では、何故そうなのか、答えは意外と簡単かも知れない。 単純に考えてみて欲しい。一年を振替って見て、ラーメンとそれ以外の麺料理、どちらを多く食べているか思い出してみれば簡単でしょ。ラーメン の方が多い人は紛れも無くラーメン好きな訳やし、違うなら、それ以外の何かって事やしね。 我ながら全く何のひねりも無い見解で面白くもなんとも無い(笑)。そやけど、ラーメンって食いモンは奥が深いねぇ全く。「御当地ラーメン」と 言って日本各地で郷土色を打ち出した地方の有名ラーメン店を厳選して集めた新横浜ラーメン博物館が1994年にオープンしてから、全国に一大 御当地ラーメンブームが起き、10年を経た今もブームは続いている。そして10年の間に、新横浜ラーメン博物館と同じ趣旨のフードテーマパー クが相次いで誕生し、各地で盛況となっている。魅力は何と言っても、一度に色んな地方のラーメンが味わえること。例えば北海道の旭川ラーメン を食べた後に、九州の久留米ラーメンを味わうとか、こう言った場所でなければ実現出来ないし、正にラーメンファンの夢を具現した世界や。ラーメン一杯の金額は知れているけれど、実際に現地へ足を運ぶ費用や手間を考えれば、これほど美味しい 環境は無い訳で、こう言った企画を考えた奴は、本当に確信犯やと私は思うのよ(笑)。 ところで、何でこんな話を始めたかと言うと、実は私の地元兵庫県にも出来ちゃったんですよ、ラーメンのフードテーマパークが。その名は「明石ラーメン波止場」。お隣の大阪なんかにゃ既に幾つかの施設がオープンして、良くメ ディアにも紹介されていて羨ましい限りでした。ラーメンを食いに態々大阪まで出向くのはかったるいしねぇ、出来れば近所に在ればなぁって放ラ イダーらしからぬ、軟弱な考えでおりました私(笑)。しかし、天は私、軟弱者の不届きな声を聞きとめてくださった(笑)。我々ライダーの主食 はズバリ、ラーメンだぁ(嘘)。けど、それくらい好きなんですよ。バイクツーリングとかで日本各地に行くじゃないですか、そんな時に訪れた地 方で美味しいと聞くラーメン店が在れば、私は必ず立ち寄れる限り、お店へ足を運びます。そして本当に美味しいと実感出来る素敵なラーメンを 作っているお店と出会えた時、それは忘れられない旅の思い出へと変わって行く。そして、日本各地を巡ってきた思い出の味が、自分の故郷で何時 でも手軽に味わえるようになるなんて、これって凄いよね。 偶然、インターネット上で2003年12月5日(金)にオープンすると知った私は、13日(土)にバイク仲間を誘って行って見ることにしまし た。 <風の旅人!理性ぶっ飛び!大興奮の明石ラーメン波止場レポート!> さぁてと、いよいよ当日を迎えました。天気は晴れ、お腹の空き具合も程好く準備万端(笑)。そんじゃ、行ってみますかねぇ、ラーメン波止場 へ。愛馬カワサキZZ−R1100D6をガレージからノロノロと引き出し、キーを差込みスイッチオン。セルモーターを回して「キュキュキュ ブォォォォォン」とエンジンを目覚めさせる。週末、静かな住宅街に木霊するモンスターマシンの咆哮。「とっとと出掛けな近所迷惑やな」とシミ ジミ思う今日この頃(笑)。ハッキリ言って、こう言う乗り物に乗ってる私は、近所では一部で暴走族のように思われているらしい。バイクに理解 を示さない方にとっては、単に騒音を撒き散らすだけの俗物だと認識されているようで、私も例に漏れずと言ったところ。まぁね、無理に分かって 欲しいとも思わないけど、俺は誓って暴走族なんかじゃない。只単純にバイクが好きで、旅好きな一人のライダーなんや。そこんとこ宜しく頼む ぜ、近所の紳士淑女達(笑)。 「明石ラーメン波止場」は、姫路から東へ約40km先にある明石市にある。明石と言えば淡路島と間に在る明石海峡と、その架け橋たる明石海峡 大橋が有名な古くから栄えた港町。漁業の盛んなところでもあり、明石海峡付近で取れる明石蛸(たこ)や明石鯛は、特産品として有名ですね。そ んな海峡が間近に見える国道250バイパス(明姫幹線道路)沿い、明石市大久保町にあるマイカル明石2番街1階フロア内に、このフードテーマ パークはオープンしたのです。 午前9時前に自宅を出た私は、姫路市内で仲間と合流し、一路マイカル明石へと進路を取る。姫路バイパス、加古川バイパスを飢えたアホ・ライ ダー軍団が駆け抜けて行く(笑)。ラーメン波止場の営業時間は、マイカル明石と同じ午前10時から午後10時となっていて、私達は混雑が予想 されるので、早めに行って込み出す前に撤収しようと決め、営業開始時間頃に到着するように出発。しかし現実は調子良くぶっ飛ばした為に早く着 き過ぎ、午前9時半にはマイカル明石に居ました(笑)。しかし、営業時間にならないと施設内に入れてもらえないので、寒風が吹き付ける建物の 外で、じっと我慢を強要させられてしまった。「美味いもんを味わうには、苦労を惜しんだらアカンっちゅうことやな」呟く私。大阪までラーメン を食いに行く労力を渋った男が言っても、何の説得力も無いことは明白なり(笑)。しかし、御馳走は目前、寒くても我慢 だぁぁぁぁぁ・・・・・。 イライラしながら待つこと半時間、午前10時となり、ようやくラーメン波止場へ入場を果たしたラーメンツアー御一行(笑)。館内は、昔懐かし い昭和中期の明石港をイメージした波止場に、全国から選りすぐられた“瀬戸内ラーメン店”と“全国有力ラーメン店”が、“技”と“味”で対決 すると言うコンセプトとなっていて、食事後に館内に設けられたアンケート用紙に自分が食した ラーメンやお店の評価を記入し、投票箱に投函することが出来るようになっております。出展しているラーメン店は全部で8 件。内訳は全国有力ラーメン店が4件、瀬戸内ラーメン店が4件となっております。 ↓ {全国有力ラーメン店紹介} 1;らーめん義薫(東京ラーメン)(期間限定店:1年間) 2;旭川らぅめん青葉(旭川ラーメン) 3;風来軒(宮崎ラーメン)(期間限定店:1年半) 4;麺屋空海(東京ラーメン) {瀬戸内有力ラーメン店紹介} 5;東大(徳島ラーメン) 6;若貴(広島ラーメン)(期間限定店:半年間) 7;はまんど(讃岐ラーメン) 8;満州屋が一番(久留米ラーメン) ※各店舗とも、店先で食券を買う先払い式です。 フロア一帯に立ち込める誘惑の香り(笑)。 「もう、辛抱たまらん!」と爆発した我々は、各々食いたいラーメン屋へと散って行く。私は馴染みが無いと言うか、未 だ訪れたことの無い宮崎のラーメンに興味がそそられ、食券を買って風来軒の暖簾を潜った。 「いらっしゃいませ!」と元気一杯で出迎えを受ける。店の雰囲気は活気に溢れ、とても好ましい感じがした。オーダーしたのは九州系ラーメンの 基本中の基本「とんこつラーメン」。生まれてこの方、地元で九州系を名乗るラーメン屋で美味いとんこつラーメンに当たった事が無い。ほんと癖 の在る、脂っこくて、喉越の悪いクソ不味いとんこつラーメンしか食べた経験が無いんですよ(TT)。実は私、この風来軒の存在を前から知って いました。以前に某テレビ局で放送された全国の美味い有名ラーメン店特集で、この御店が紹介されていたのを偶然見ていたのです。だから何時か 宮崎県に行った時には、食べに行くと決めていただけに、こんなチャンスが巡ってくるとはラッキーとしか言いようがありません。高まる鼓動、血 圧上昇、このままでは食するまでに逝ってしまう(笑)。「むぅ、落ち着け俺」自ら行って聞かせて、冷静を装う。そんなバカな一人ボケを展開し ている時に、「おまちどうさまでした」とめちゃくちゃ美味そうな匂いと湯気を漂わせたとんこつラーメンが運ばれてきた。つ、ついに来たぁー、 来ちゃったよ神様ぁぁぁぁぁ・・・・。夢にまで見た、愛しのラーメンが、今目の前にありますねんで。あぁ、幸せやね、ほんまに(笑)。 「とにかく食うぞ!悦に入るのは、それからでも良いやろ(笑)」 先ずは、スープを一口啜ってみる。すると・・・・・・・。 「・・・うま、美味い、すげー美味い・・・」 びっくりしたな、これほど美味しいとは。それが味わった最初の素直な感想やね。とんこつ特有のこってり感はあるけど、決して脂っこくなくスッ キリとして軽い口当たり、香りや喉越しも最高で申し分無し。麺も腰があり、スープとの相性もバツグンで、アッと言う間に全て完食。もちろん、 スープの一滴も残しませんでした。食べ終わった後も、口の中はスッキリとしていて、後味も全然悪くない。それまでに食べて来たとんこつラーメ ンって、何だったんだろうって気になりましたよ。いやぁ、ご馳走様でした風来軒さん。 さて、一件目は大成功に終わったが、この後どうしようかな。一緒に来た仲間達は、もう二件目、三件目と食いに動いているヤツが多くいた (笑)。思わず自分の腹を撫でながら考えてみる。複数杯食うことを前提に朝飯抜きで挑んで来たんやから「もう一杯ならイケるやろ!」の結論に 達し、二件目へGOだぁ。次に選んだ御店は久留米ラーメンの満州屋が一番。先に味わったとんこつラーメンのお陰で、同じ九州系の違うとんこつ ラーメンも食って見たくなった訳で、俺的には最初、旭川ラーメンの青葉辺りで閉めようかなと思っていたんやけれど、同じ九州系で今回は撃沈さ れる事に決めました(笑)。 満州屋が一番の店先で「とんこつしぼりラーメン」の食券を買い、お店へ突入。「いらっしゃいませ!!!」と風来軒の三倍増し位の音量で御出迎 えの挨拶をスタッフ全員でしてくれた。こちらの雰囲気もOK、文句なしやね。厨房が良く見えるカウンター越しに席を取る。目の前には、ぐつぐ つと湧き上がる白いとんこつスープの寸胴鍋がある。うーん、見るからに凄くコッテリしてそう。これは、ひょっとしたら胃袋撃沈パターンかな (笑)。だって、既にとんこつラーメン一杯食った直後やし、今から食う方が更にコッテリ度高そうやから、胃袋が「チーン!」て、逝ってしまう かも知れへんやん(TT)。二杯目は無謀な行為やったと、早まったかもしれないと後悔し始めた時、「おまたせいたしました、とんこつしぼりで す」と審判の時を、俺は迎えてしまった(笑)。 同じとんこつ系ラーメンと言っても、見た目から全く違っていた。とんこつ特有の香りも、白いスープもこちらの方がハッキリとしていた。とにか く先ずは一口と、スープを飲んでみた。こ、これは・・・・。 「美味い!こんな美味いとんこつスープ、飲んだこと無い!」 風来軒とはまた違った味、これもまた好いぞぅ。甲乙付けがたしと言ったところですなぁ。スープ、麺、具材ともに絶妙なバランスを醸し出し、見 事な料理へと昇華させている。本当に、素晴らしい仕事だと感動させられた。ここも例に漏れず、一滴のスープも残さず全て完食。満州屋が一番さ ん、アンタ最高だよ。ご馳走様でした、またゴチになりに来るわ。 いやぁ、もう限界。残りは後日の楽しみに取っとくとして退散(笑)。 仲間一同、ズボンのベルトが弾けそうなほど腹を膨らませながらバイクに跨り、姫路へと帰路に付いたけど、無論、行 きより帰りのペースが異常に遅くなっていたのは言うまでも無かった。えっ、何故かって?もちろん全員、吐くのを堪えながら のライディングだったから(笑)。これを読まれた皆様、幾等美味いからと言って暴飲暴食は避けましょう。人間、腹八分目が一番です(笑)。 次は、北海道の旭川らぅめん青葉を攻めたるわ! (・・ゲップ、オェ・・・腹苦しいわ(笑)・・・)(完) |
姫路のお客様からのメー
ル
2003年12月20日 13:44 こんばんわ!久保さん! 例年に無い、12月の大雪に見舞われた姫路より、 ワタクシ、風の旅人こと原田圭一が近況をお伝えします。 > 我が町は雪の少ない不思議な年末を迎えております。 > 部屋に飾られた原田さんからのタイガーズ・グッズ・コーナーが、 > さらに謎のクリスマス・デコレーションとなっております。 ↑ ■こちらは雪の多い、不思議な年末を迎えております(笑)。 まったくもって、私達地域の人間は雪に弱いですねぇ。 地べたを這うような程度の積雪でも、 自転車か徒歩程度の速度でしか車が流れなくなるし、 雪道(凍結路を含む)の怖さを知らず、基本的になめて掛かっているもんだから、 ノーマルタイヤのタイヤチェーン無しで走行して事故が多発しまくり状態。 救急車やレッカー車が日中フル活動しているのを見ましたし、 自動車用品店ではタイヤチェ−ンとスタッドレスタイヤが飛ぶ様に 売れてました(笑)。 それから、私が送った謎の品(笑)。 殆ど神棚を祀るような状態なんじゃないですか? 本当に気に入って頂けてるんだなぁって、実感出来ます。 ありがとう御座いました。 |
風の旅人秋グルメ!思い出の広島風お好み焼きツーリング ! 2003年11月23日(日曜日) 11:03Pm <2003年11月16日、自室にて> 今年も気が付けば11月中頃を過ぎ、残すところ後僅かとなって来た。 そう言えば最近、何処にも出掛けて居なかったと言うか、何処にも行く事が出来なかったなぁ。 夏以来、仕事が忙しく、思うような休みが取れなかった事が原因やわ。 くそぅ、放浪ライダー、風の旅人を名乗る者が、知らず知らずの内に社会問題化している引きこも りに仲間入りしている? いやや、俺は根っからのアウトドア派!決してインドア派やないねん(笑)。 根暗な人間とも程遠いけど、多少、マニアな部類に属する人種である事は 認めるわい(・・・何がマニアやねん!オマエは十分オタクじゃドアホゥ(笑)・・・)。 ※閑話休題 えっ、えっと話を続けよっと(笑)(・・・自分のツッコミに凹んだ私・・・)。 11月になると俺、必ず食べに行く食いモンがありますねん。 年に一回だけ、この時期を選んで食す、名物の広島風お好み焼き。 通称「広島焼き」と言いますが、北海道の皆様も、広島へ観光やビジネスで訪れた際に 一度でも食された経験がある方も結構いらっしゃると思います。 よく近所のスーパーや百貨店とかで、広島風お好み焼きと銘打って売られて いたりしますけれど、中身は本場で売られているのとは全くの別物! だれが如何見たって大阪風お好み焼きなんですわ。 広島風の内容は、まず熱した鉄板に薄くお好み焼き生地を円く引き伸ばし ながら焼き、その上へ千切りした大量のキャベツを盛り、軽く塩コショウする。 それから天かす、もやしの順で追加、そして薄切りの豚肉を数枚綺麗に 野菜の上に敷いて行く。ここで始めて、お好み焼きをひっくり返し、豚肉を 敷いた面を下にして焼きます。さて、ここからがポイントです! お好み焼きを焼いてる鉄板の横のスペースへ、茹で上げた広島焼き専用の 焼きそばの麺を一玉分、分解しながら軽く炒めます。適度に差し水を麺に加え ながら程よい硬さに仕上げ、先ほどのお好み焼きを其の向きのまま麺の上へ。 コテ又は重しなどで力を加えながら、じっくりとお好み焼きを蒸し焼きにして 行きます。そうすることによって野菜の旨味が存分に引き出され、美味しさが 高まって行くのです。その頃合を見定めながら、今度は横で卵を割り、薄く引き 延ばて卵が固まらない内に、お好み焼きをこの上に載せます。 そして最後にもう一度ひっくり返し、お好みソースをたっぷり塗り、青海苔と 紅しょうがで飾れば広島風お好み焼き「広島焼き」の出来上がり! うーん、書いててメチャクチャ食いたくなってきてもたやん(笑)。 これと対象的なのが、広島と並ぶ二大お好み焼きの一角「大阪風」。 基本的には「混ぜ焼き」と言われるもので、焼く前の段階で具材と生地全てが 一緒に混ぜ合わされたスタイルでして、お好み焼きとして全国に良く知られて いるのはコレだと思います。大阪風お好み焼きにも、そば焼きやうどん焼きと 言って麺を使ったレシピがありますけれど、広島風と大きな違いがあります。 それは調理と味付けが全く異なっていると言う事。広島風は上記を見ての 通りの内容でして、かるく塩コショウ程度で炒めた以外、最後に塗られた ソース以外の味付けは施されておりません。とてもシンプル且つあっさりとした 口当たり、ゆえに非常に高い調理技術が必要とされる料理なのです。 大阪風は普通にソース焼きそば又はソース焼きうどんを作り、最後に混ぜ焼き 生地とトッピングした物がそば焼き、又はそば入りなどと言います。 店によっては、このそばが入っていると言う理由で「広島風お好み焼き」と銘打って 売っているところが多く、先に述べたスーパーなどの出店も大概がこのパターン。 お前ら、本物の広島焼きを食ったことがあるんかい? 全く、似て非なるものやんけ!あんたらが作って売ってるモンは! ハッキリ言って、俺は地元大阪風お好み焼きは好みじゃないねん。 だって、なんでもかんでもお好みソースとマヨネーズでコテコテな味にして 食わそうとする考えが嫌い!素材の旨味は何処にあるっちゅうねん! 俺はお好みソースやマヨネーズが食いたくて店に来てるんやない(笑)。 元々薄味嗜好でもある俺にとっては、大阪風は味が濃すぎるし、なにより 素材の旨味を生かした、職人の技と心を感じるお好み焼きが食いたいねん! そんな思いを解消してくれたのが、今から7年前に出会った一枚の広島焼き。 あれは秋の紅葉に誘われて、安芸の宮島へ初めてツーリングに行った 時のことだったなぁ・・・・。 <風の旅人秋グルメ!思い出の広島風お好み焼きツーリング!> 晩秋深まりし11月某日、今日は会社仲間と職場近くのお好み焼き店で久々の 宴会を行う事となったけれど、俺はあまり乗り気じゃなかった。 そう、お好み焼きが好きじゃなかったから、それが理由だった。 どうも昔から美味いお好み焼きを食った経験が無いと言うか、自分好みの物に 当たらなかったと言うか、回りは美味しいって言って食っているけれど、俺は今まで そんな風に地元で食したお好み焼きに感じた経験はなかった。だから何処か お好み焼きと言う料理はこう言うモンだと今思えば諦めていた気がするなぁ。 宴会の席で、同僚達は二枚又は三枚と大量にお好み焼きを食っていたけれど、 俺は一枚ぐらいを食べるのが精一杯。もう、ほんとうに御馳走様って感じ(笑)。 何かねぇ、そうこうするうちに、モンモンとした気持ちが頭の中に広がっていって、 ついに・・・・マジ切れしちゃった(笑)。 くそぅぅぅ、俺を唸らす美味いお好み焼きに出会いたい! 近所迷惑と知りつつも、宴会帰りの夜空に向かって吼えた俺(笑)。 そのまま週末を迎えた俺は、すっきりしない気持ちを抱えたまま広島へ バイクツーリングに行き、ここで思わぬ収穫を得る事となった・・・。 関西(兵庫県)から中国・四国・九州方面へ向かう時、高速自動車道が充実して いるおかげで何時も助かる。日帰りでも、結構往復距離が稼げて遠方まで 足を伸ばせるからと、自慢の愛機「カワサキZZ−R1100D6」の機動力が 成せる技や!ゴッホン、一応交通ルールは守っているつもりですよ、私はね(笑)。 一人気ままにソロ・ツーリングと旅先に選んだ場所は、紅葉が最盛期を迎えた 安芸の宮島。宮島と言えば平家の平清盛が築き挙げた厳島神社が有名で、 ここの紅葉は非常に美しく、素晴らしい世界遺産でもある社殿を更に美しく演出する のに一役買っています。また厳島神社は干満差の大きい瀬戸内の海岸縁に建てら れており、満潮時に境内の大鳥居共々、社殿の床の高さ近くまで海中に水没する事 でも有名ですよね。時の平家が海を広大な池に見立てて風情を楽しんだそうですが、 今の時代と違って碌な機械や道具も無い時代に、時の権力者のやる事と言ったら 凄いモンですわ!このセンスは時代を超えて通じるものを感じます。 出来れば訪れる前に潮の時間を調べ、干潮と満潮、2種類の厳島神社の情景を 見比べる事をお奨めします。言葉で語るより、実際自分の目で見た方が確か。 俺が伝えたいことの意味が何よりも良く分かると思います。 干潮時でなければ、大鳥居まで歩いて近づく事も出来ないし、変り種として神社境内で 潮干狩りが体験出来るのも日本中で此処だけやしね(笑)。 そしてここの目玉となっている生き物「シカ」。日本の古代文化施設地域でシカが存在する のは奈良公園と厳島神社の二箇所。どちらもシカは神の使いとして、昔から大切にされて きた存在。今はどちらの地域も観光の目玉として一役買っているが、俺はこのシカにも余り 良い思い出が無い。何故なら昔、このシカの集団に襲われた経験があるからや(笑)。 実は今から10年以上も昔、まだ免許も取り立ての学生の頃、俺は家族と奈良へ旅行に 訪れていた時の事だった。東大寺南大門の前で、俺はシカにエサをやろうと名物「シカ煎餅」 の袋を6袋ほど購入し、手渡しでシカに与える以外は着ていたGジャンの内ポケットに仕舞い 込んだ。ここを離れてから奈良公園内を歩いて行く過程で見つけたシカにエサを与える算用 で多めに購入したんやけれど、これがとんでもない事態を俺自身に呼び込む結果となった。 このシカ煎餅って、人間の嗅覚でも感じ取れるほど、結構香ばしい良い匂いがします。 奈良へ行ったのは梅の花が満開の3月中旬、装いも冬に近い姿であったけれど、体温で 内ポケットにしまいこんだ煎餅が温まり、辺りには香ばしい匂いが広がっていった。 これを嗅ぎ取ったシカに俺は360度、全方位を何十頭と言うシカに囲まれ、手に持つ煎餅、 内ポケットにしまってあった残りの分全てを「強奪」され、服や手に煎餅の匂いがこびり付いて いたものだから、服や脇腹、手を噛まれ、挙句の果てに食い損ねた鈍臭いシカの頭突きを 背中や腹に叩き込まれ、南大門境内で呆気なく昇天させられました(笑)。 今でこそ、笑い話として言えるけど、襲われた俺は洒落にならなかったわ。 めちゃくちゃ大恥を掻いたしね、それに家族やシカ煎餅を売ってるオバちゃんも遠巻きに 笑って見ているだけで助けてくれようともしない。そりゃ、たしかにシカの食欲を異常に 刺激してしまった俺も悪かったと思うけど、おかげで酷い目にあってしもうた(笑)。 かまれた脇腹は内出血するほど歯型が残り、1ヵ月近く痕が消えなかった(笑)。 その後遺症(笑)の為か、自然と厳島神社のシカに近付かないで距離を置きながら 境内や門前町を散策する小心者と化した俺。名物「もみじ饅頭」を買いに宮島の 老舗に入り、饅頭を買って出ようとした瞬間、店先を囲ったシカに恐れてしばらく立ち往生して しまった事もあったっけ(笑)。ほんと我ながら情けない、バッカじゃないのって言いたいわ。 妙な方向へ話が逸れてしまったけれど、とにかく宮島の紅葉は見事だった。 こう言う美しいものに魅せられると、心が洗われて行く気がしますねぇ。 「よし、来年も続けて来ようっと!」とシカにビクつきながら誓った俺は宮島を離れ、 兵庫県目指して帰路に付いた時に道路沿いにあったお好み焼きの看板に視線がいった。 「そうや、よう考えたら俺って未だ広島のお好み焼きを食った経験が無いやん」 過去、何度も広島を公私共に訪れた割には、これほど有名な食いモンをゲットしていなかった。 「幾等、それほどお好み焼きが好きじゃないからって、食わず嫌いはダメだよなぁ」 そう、食べもせずに不味いとか決め込むのは卑怯だし、自分の舌で味わっての結論だもんね。 宮島に一番近い高速道路の入り口へ向おうとした俺は予定を変更し、国道2号線を走って 東へ進む。 「とにかく広島市内へ行ってみよう。広島風お好み焼きの中心地やし、ひょっとしたら・・・」 俺の理想に出会えるかもと続きは言葉に出さずに心で呟き、流れの悪い国道を 巧みにすり抜けながら、広島市内へと舞台を移していった・・・。 「さぁてと、これから如何しようかな?」 バイク用の小さな地図以外、これと言って広島グルメに役立ちそうなものなどバイクでの 移動に嵩張るからと無論携帯してる筈も無く、目的地が定まらないまま原爆記念公園前 まで来た時点でバイクを停めて腕組みをしながら考え中な俺。 この行き当たりばったりな自分が好きでもあり、大キライでもあるんやけれど、とにかく この場所に留まっていてもラチが明かない。もっと商業施設が多い場所で地元の人に 訪ねてみようと移動を再会。原爆記念公園から少し東へ行った所で百貨店等が立ち並ぶ エリアが在り、この近辺で取り合えず聞き込みを開始する。 「お奨めの美味しい広島風お好み焼きの御店って御存知ありませんか?」 何人かに聞いてみた結果、もっとも多い意見が「お好み村」と言う場所を教えてくれた。 What’s?お好み村って何?そう言う名の御店なの? 実は広島市中区新天地にあるビルの名前で、中に26店舗のお好み焼き店が入居して いる凄いところなんだと説明してくれた。観光客に人気の場所だし、たぶん期待を裏切ら ないと思うよとも教えてくれた方が言ってくれたので、私、久々に興奮してまいりました。 そう、こう言う大衆レシピ、B級グルメに目がないのが放浪ライダーたる性分やねん(笑)。 動物並みの嗅覚を駆使し、直ぐにお好み村を探し当てることに成功! 虎の子のバイクを盗まれないように防犯対策を厳重にしてから、お好み村へ突入! お好み村は、ビルの2階から4階までのフロアがお好み焼きの店舗として使用されており、 2階と3階フロアに各8店舗、4階フロアに10店舗の合わせて26店舗となる構成。 「正直な話、どの店で食うたらええんやろ?」 俺は1階の看板が掲げられた場所で暫し悩んでしまった。 だって初めて食べるし、折角此処まで足を運んだわけやから、一番美味しいモンを ゲットして帰りたいやん。それに家族にも土産として持って帰る予定やったから、 慎重に御店選びをしたかった。そんな折、食事を終えてお好み村を離れようとしたお客の すれ違い様の会話に興味を引かれた。 「いやぁ、美味しかったなぁ、文(ふみ)ちゃんのお好み焼き」 思わず其の言葉を口にしたオバさんを捕まえ、「マジで美味しいの?」と事情を説明しながら 訪ねたら、ニコニコ笑いながらこう言った。 「文ちゃんって御店はこの直ぐ上、2階にあるからさぁ、美味しいよお兄ちゃん」 ありがとうオバちゃん、俺は決めたぜ!その文ちゃんとやらにゴチになりまっせ! 食う場所が定まった俺は、2階まで一気に階段を駆け上がり、お好み村の中心部へと 移っていった。すると・・・・。 「うわぁ、スッゲー、何やこれぇ!」 フロアは決して広いとは言えない規模やけれど、隙間無しに作りこまれた各店舗と 目に飛び込んできた鉄板とカウンター座席。びっしりと客で埋まり、人の発する熱気と 調理の熱気で噎せ返るような暑さ、そう、めちゃ蒸し暑いやん。 でも、いやな感じはしなかった。むしろ香ばしいお好み焼きの匂いがより高まって、 俺の食を刺激する。活気溢れる雰囲気も手伝って、とても好ましい印象を受けた。 「いらっしゃいませ!ようこそ!」 2階入り口の扉を開けてフロアに入った瞬間、何と入り口側に面した御店全てから歓迎の 挨拶を受けた。思わず「こんにちは」と挨拶を返していた俺(笑)。さぁて、店探しと言う必要も 無い位、文ちゃんって店は直ぐ分かった。だって、入り口正面に在ったんやもん。 たしかに直ぐ上、2階の御店やからと言っても簡単に判り過ぎて、ちょっと拍子抜けやね。 「まぁ良いや、いい加減腹も空いてた事やし、早よ食べて帰らな遅くなるから」 そう自分に納得させながら、何とか待たずに席に着く事が出来た!ラッキーやね! 「御注文はどれになさいますか?」 そう聞かれて、困ってしまった。大阪風みたいにアホみたいにメニューは多くない。 指先で数えられるほど少なくシンプルなメニュー、だから余計迷ってしまった。 とにかく広島焼きを初めて味わう訳やし、そう頻繁に来れるところでもないから、 一通りの旨味が味わえるようなお好み焼きが食いたいみたいな話をしてみると、 全部入(1200円)ってお好み焼きを進められた。それから別メニューとして、 また冬限定追加メニューとして、この時期広島湾で採れる牡蠣(カキ)も お好み焼きの具材としてチョイス出来ると教えてくれた(別料金)。 「牡蠣は大好物やけど、別に其れを食いに来た訳やないしね」 そう呟いた俺は、勧められた全部入りを一枚注文。 勿論、牡蠣のトッピングは結構惹かれたけれど、やめといた(笑)。 後は自分がオーダーした広島焼きが出来上がるのをジックリと眺めていた。 作り方は冒頭にも述べた通り、具材並びに作業手順は至ってシンプル。 だからこそ、ひとつひとつの動作に大きな意味、仕上がりに影響を及ぼすと 見て取れた。それにしても、流れるような手付き、見ていて惚れ惚れするねぇ(笑)。 待つこと数分、めちゃ美味そうな湯気と香りを漂わせながら皿に盛られて、 俺の人生初の広島焼きが完成した! 見るからに、あっさりとした口当たりが予想されるが、何と言っても凄いボリューム。 噂に聞いてはいたけど、めちゃ凄い量やでホンマ。コレで一人前なんやから(笑)。 食べ易いように八等分に切り分けてくれたとは言え、それでも一口で食べるには 大き過ぎた。口の中がやけどしないように注意しながらハフハフと口一杯に 頬張る。すると、思わず唸ってしまった・・・・。 「ウ、美味い!めちゃくちゃ美味いやん!」 自分の想像を遥かに上回る味で、マジで吃驚してしまった。 一見、凄く簡単に作られている物、具材も大阪風に比べるべくもない程シンプルな物。 それなのに、これほど美味しいなんて感動やわ。目から鱗が落ちましたわ(笑)。 とても食べ切れないと思われた量のお好み焼きを貪り食うように完食! 間髪入れずにもう一枚追加注文と家族の土産用に4枚追加(笑)。 やっと出会えたと、俺はこの時思ったね。 自分の理想の味、理想のお好み焼きと出会えたんやと実感できた。 流石に2枚目のお好み焼きは無謀な注文やったと食いながら後悔した(笑)。 猛烈な満腹感に苦しみながら、持ち帰り用に頼んだお好み焼きを受け取り、 美味しい食事が出来た事を店の方に感謝しながら「来年も必ず来ます」と 約束をして店を離れた。 帰りの高速道路でゲップをするたびに吐きそうになり、かなりバイクの操作が 危険になったこともあったけれど、心はとても満足感に包まれていたんだ。 だって広島を訪れる良い楽しみが、これでひとつ増えたんだから・・・・。 こうして毎年11月になると、宮島の紅葉を見に行った帰りに広島風お好み焼きを 食して帰るバイクツーリングが定例行事と相成った訳なんです。 他の店も気になるんですけど、やっぱり文ちゃんに行っちゃうのよねぇ、俺ってさ。 今じゃ、ただ食べに行くだけじゃ無く、店の主人のオバさん達と会って話を交わす のも楽しみとなっている。そう、一年分の俺の話を伝えに行くのさ。 そして、また一年後に再会を誓って店を出るんだ。 これを続けて今年で7年目、俺も楽しみにしてるんや、季節が巡って来る事を。 また会える日が近付いてくる、広島へ行こう、お好み焼きが待ってるよってね(笑)。 広島へ行った事の無い方、これから行くと言う方へ。 戦後の広島、大衆食文化が生んだ名品「広島焼き」を是非召し上がれ。 お好み村は、広島庶民憩いの場。旅人も優しく招き入れてくれます。 この満足感一杯の幸せを、あなたにも届けたい・・・。 「さぁて、また食いに行くかぁ!」 アクセル全開!広島へGO!GO!(完) <編集後記> 米工房 久保元宏様 どうも、久々の原稿(B級グルメネタ)で御座います。 9月に京都の食いモンネタを書いて以来、随分と長い間サボってしまいました。 原稿の冒頭にも言い訳がましく書いてましたが、休みが取れずに何処にも行けず、 ネタ文も全然書けずにいました。こんな状況でしたから気持ちが乗らず、文章も 書き辛かったのもあります。 とにかく、毎年繰り返している日帰り旅を、過去の恥ずかしい出来事も添えて書いて 見ました(笑)。アホやと呆れたかもしれませんが、私って、こんな人ですから(笑)。 出来るだけ日を措かずに、別のグルメネタを続けて一話、書いてみたいと思っています。 こう言うお笑いな体験話も含めて、ネタはタップリとありますからねぇ(笑)。 後日を、好御期待下さいと言っておきましょう! 追伸;下の住所が、今回紹介した「お好み村」の場所です。 広島風お好み焼き店集合施設名称;お好み村 住所;広島県広島市中区新天地5-13新天地 пi代表);082-241-2210 ACCES;広島電鉄「八丁堀電停」から徒歩5分 ※尚、営業時間や休業日は各店舗によって異なりますから御注意下さい。 |
秋は何時になったら深まる
のやら・・・・
2003年11月3日(月曜日、文化の日) 10:23m今年も遂に11月を向かえ、本来なら深まりし秋を楽しむ今日この頃と 言えたであろうに何やっちゅうねん、この糞熱い、蒸し暑い気候! オィ、どないなってるねん?ほんまに冬へと向かいよるんかい!(怒)。 えぇーと、行き成り訳の分からん激文から始めてしまって申し訳ありません。 世間は休みだろうが、そんな事は関係無しに仕事に励んだ空しい男(笑)・・・。 毎度お世話様で御座います、姫路の原田圭一、貧乏暇無し独身貴族です。 (・・・ふ、古い。今時、そんな言い回しするヤツなんて居ないぞ(笑)・・・) 「・・・(沈黙)・・・」※(自分で自分をツッコンで言葉を失う(笑)。 <しばらくお待ちください> ゴ、ゴッホン(笑)。 ま、真に失礼しました。我ながらくだらない、長い意味不明のネタ振りで御免なさい。 特に今日は伝えたい事とか、新しい作品が書けたとか、そんな有意義な御知らせ ではありません。まぁ、ぶっちゃけた話、ご機嫌伺いってところですかね(笑)。 先ほど仕事から帰って来て今日のニュースを見た時に、興味深い内容を見たので 久保さんに確認も兼ねてメールを差し上げた次第です。 そして、そのネタとは?・・・。 下の記事を見て下さい ↓ 札幌などで9月並みの陽気 11月の観測史上最高記録 北海道内は3日、南から暖かい空気が流れ込み、札幌と紋別で最高気温が22・4度に なるなど13地点で11月の観測史上最高を記録、9月並みの陽気となった。 札幌管区気象台によると、ほかに気温が高かったのは小樽21・8度、広尾21・5度など。 旭川では、11月としては63年ぶりに20度を超えて20・6度に達した。 同気象台は「この陽気は3日で終わり、4日からは寒気が流れ込み気温が下がる」と予測してい る。(共同通信) ↑ 久保さんの所、沼田町も気温が高かったのではありませんか。 例年通りなら、今時分から雪が降り始めても不思議ではないのでしょう。 北海道ですら、これほど気温が高いのだから、私が住む関西(姫路)の気象状態は 久保さんも、大よそ想像が付くのではないかと(笑)。 今日は生憎と雨模様の天気でしたが、もう蒸し暑いったらありゃしない。 完全に梅雨へと逆戻り、11月なのにTシャツGパン素足で快適と変な感じ(笑)。 季節感なんて微塵も無いし、死滅した筈の蚊も復活してブンブンと飛び回ってる(笑)。 一年を通して一番好きな快適な季節の筈が、何か今年の日本の気象は異常やわ。 これじゃ、医者が儲かってしょうがないでしょうね。 えっ、何故かって?(・・・誰も聞いて無いっちゅうに(笑)・・・) だって、こんな寒暖差が大きくて不順な気候じゃ、体調を崩す人が多いのでは。 特に北海道じゃ、これから外気温マイナスの気候を向かえる直前だけに、ここまで 気温を急激に変動させられたら、体が其れに順応出来ずに変調を引き起こし、 風邪や発熱などの症状を発する人が増えてくると思う。 久保さんも仕事疲れによる体力低下、疲労、ストレスなど健康を損なう要素を多分に 御持ちの事と思いますので、御体御自愛下さい。 今日一日、本当に蒸し暑い、体に悪い文化の日と成りました。 |
久保さん、あなた渋い!渋
いっす!
2003年10月11日(土曜日) 0:39Am<虎と熊> 10/10(金)で阪神の2003セ・リーグ公式戦終了! 広島カープ相手に11対3の逆転大差、井川の20勝達成と言う素晴らしい記録 で、 ホーム戦白星勝利で幕を下ろしたのを見届けて、喚起に震えた! 地元サンテレビの野球観戦に先ほどまで燃えまくってた男! 両手に2003セ・リーグ優勝記念応援Vバットを持ち、 奇声を挙げながら六甲おろしを合唱していた近所迷惑なバカ虎(笑)。 ご存知、姫路のエッセイ・ライダーで御座います。 > 原田さん、寝てますか? > 真夜中のライス・スリーパー、米工房の久保元宏です。 ↑ ■もちろん寝てます(笑)。 この時間に起こされでもしたら、水月に鋭い拳の一突きを叩き込みますからね! > >何か盛り上がりに欠ける展開やわホンマ(笑)。 > ↑ > ■この部分、原田さんのページに加えました。 > なんだか、末端肥大症(?)のような感じですねぇ。 > フラクタル、大好きな私なもんで。 ↑ ■たぶん久保さんは、こう言った言い回しが好きだと思いましたので 書いてみました。やはり、HPに載せましたねぇ(笑)。 > >1;和歌山県・熊野古道ツーリング > >(熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉神社参り) > >熊野信仰ゆかりの土地、太古の息吹を感じる静寂な森を駆け抜ける。 > ↑ > ■これですね! > 南方熊楠のファンなもので(笑)。 > 町蔵の映画、どうなったんでしょうねぇ。 > 熊楠ゆかりのお話が聞けたら、教えてくださいね。 ↑ ■久保さん、中々渋い人名を出してきはるわホンマ(笑)。 南方熊楠ですか、地元和歌山が生んだ偉大な学者さんじゃありませんか! ちなみに、簡単ながら彼の紹介資料を下に載っけてみました。 ↓ 南方 熊楠 (みなかた くまぐす) 1867年4月15日〜1941年12 月29日 幼い時から驚くべき記憶力の持ち主で歩くエンサイクロペディア(百科事典)と称された反骨の世界的博物学者。 19才の時に渡米、粘菌の魅力にとりつかれ、その研究に没頭、サー カス団に入ってキューバに渡るなど苦学しながら渡英。 その抜群の語学カと博識で大英博物館の東洋関係文物の整理を依頼される。 一方、科学雑誌『ネイチャー』に数多くの論文を発表。また、孫 文と知り合い意気投合、以後親交を結ぶ。 33才で帰国、紀州は田辺に居を構えると精力的に粘菌の研究に打ち込み、その採集のため熊野の 山に分け入り、数々の新種を発見。 一切のアカデミズムに背をむけての独創的な学問と天衣無縫で豪放轟落な言動は奇人呼ばわりされたが 実はやさしい含羞の人であり、自然保護運動に命をかけて闘いぬいた巨人であった。 (前進座創作劇場 およどん盛衰記 より転記) ↑ この方に間違いありませんね(笑)。 (・・・あのなぁ、他に誰がいらっしゃるねん?ボケた質問するなよ(笑)・・・) 南方熊楠記念館や南方熊楠邸もツーリングコースに含めたスケジュールを 検討してみます。非常に興味をそそられる内容ですから・・・。 もう一つおまけに下の資料もどうぞ! ↓ ご利用案内 観覧時間 午前9:00〜午後5:00(入館は午後4時30分まで) 休館日 ■毎週木曜日(7/20〜8/31は無休) ■6月28日〜30日(館内整備) ■12月29日〜1月3日(年末年始) 駐車場 大型バス3台 普通乗用車30台 (駐車場無料) 入館料 大人 400円 20名以上団体扱い 大人一人300円 小中学生 200円 20名以上団体扱い 小中学生一人100円 交通 ■東京より飛行機で南紀白浜まで60分。空港からはバス・タクシーで。 ■JR紀勢本線 白浜駅から明光バス臨海経由アドベンチャーワールド行 臨海バス停(10−15分)下車、徒歩(7−8分) ■大阪方面から自動車:阪和自動車道〜海南湯浅道路〜御坊IC〜 国道42号線〜田辺市新庄田鶴交差点〜県道南紀白浜空港線 ■白浜駅からタクシー:約20分、約2100円 ■白浜空港からタクシー:約15分、約2000円 団体でのご利用について 駐車場にバスの乗り入れが可能ですので、修学旅行や社会見学としても 当館をご利用頂く事が出来ます。 1階にて南方熊楠にまつわるビデオ、【南方熊楠‐その人と生涯-】(約 15分)をご鑑賞頂いた後、各展示コーナーを見学頂く形をとりますと、所要時間は 約1時間程となります。ビデオ上映室には一度に40名程お入り頂けます。 ↑ それと先日のメールにも書きましたが、熊野信仰に触れるバイク旅でもあります。 私は日本古来の神々を祀り、崇めてきた神社という歴史ある文化に興味を持っています。 過去にも旅先で色んな神社を見てきましたし、これからも機会が有れば、日本各地の神社を巡って行きたいと考えています。 和歌山県は地元で在りながら、過去殆ど足を踏み入れた事の無い 土地なんです。3年前に真言宗の総本山、高野山へ行った他は全く無し。 結構、交通の便が悪いところで、関西でも移動に時間が掛かる場所なんです。 まあ、これは普通車や電車で動いた場合での話しですけどね。 バイクには、あまり関係無いと思いますけど、過去訪れた時は普通車でした。 バイクで和歌山へ行くのは今回が初めてなんですよ、わぁーい、冒険だぁー(笑)。 和歌山にも美味い食い物と御酒が御座います。 庶民的で有名なのは「めはり寿司」でしょう。 ご飯をソフトボール大くらいに握り、塩漬けした高菜で包んだ昔から 紀州に伝わる家庭料理で、とにかく大きいから大人でも口を一杯に広げないと食べられない。 口を大きく張ると、それに釣られて目も大きく張ってしまう。 そんな人の食べる様から「めはり寿司」と呼ばれるようになりました。 和歌山の地酒で有名所に、南方熊楠とも関係が深い蔵が在ります。 「世界一統」と言う銘柄の醸造元、(株)世界一統です。 和歌山市湊紺屋町に明治17年に創業。 このスケールの大きな酒名は大隈重信による命名で、 「世界を統一するような酒で在れ」との意が込められているそうです。 南方熊楠は、創業者の次男として生まれ、2代目の兄に当たります。 酒豪としても知られた熊楠の名も、「本醸造・南方熊楠」として新しい銘柄に使わ れています。 私も未だ呑んだ事の無い御酒ですから、この機にゲットしてみようかな(笑)。 |
2003年10月8日(水曜日) 0:39Am 2003年10月7日。 一人の若き指導者がファンから惜しまれつつ グラウンドを去った・・・・。 栄光の巨人に己の半生を捧げた男・・・・。 現役時代の長嶋茂雄や王貞治に憧れ、プロを目指し野球に 打ち込んだ日々・・・・そして念願の巨人軍入団・・・・・。 背番号「8」を託され、全盛期はサードで4番打者、若大将の異名を取った。 爽やかな笑顔が似合う朗らかな人柄から、周りに愛され続けた名選手。 そして、現役選手引退後はコーチとしてチームに残り、後輩選手の育成を 手助けしながら、次代の巨人軍監督候補として指導者の修行に励み・・・・。 そして2001年秋、この年のシリーズ終了後に勇退された長島監督の後を 引継ぎ、巨人軍監督に就任。 いきなり就任一年目に、セ・リーグ制覇と日本シリーズ制覇のダブルタイトル 獲得と言う偉業を達成! 誰もが、彼の指導力に度肝を抜かれた! 的確に、時には大胆かつ斬新な采配にファンは大いに驚かされ、魅せられた。 このシーズンが終わった直後は誰も予想し得なかったであろう・・・。 まさか一年後に、彼が球団を去る事になろうとは・・・・。 昨年のチャンピオンチームとは思えない今シーズンの低迷劇。 そして、昨年の最下位脱出が今期の予兆であったと言える阪神タイガースの快進撃! あの巨人が18年ぶりに阪神に負け越しを決めてしまった。 昨年とは裏腹に、球団内に起こった様々な問題によるトラブルも チームを弱くする原因であったにも関わらず、全ては自分の責任だと 唇を噛み締めながら、自ら辞意を表明し辞任会見に臨んだ彼・・・。 辞任を阻止したい彼を慕う選手並びに周りの必死の説得を受けながらも、 彼の首が縦に振られることはなかった・・・。 10月7日、敵地たる甲子園で今シーズン最後の公式戦となった対阪神戦。 勝敗は去り行く先達へ捧げるかのような6対2で巨人の勝利となった。 試合終了後、甲子園で引退セレモニーが静に執り行われた。 普段なら、阪神ファンから強烈な野次が巨人へ向けて飛び交う甲子園だが、 だれもが静に偉大な若き指導者に視線を注いでいた。 そう、虎ファンも彼の引退を心から惜しんでいたんだ。 彼も虎ファンから愛されていた、「好敵手」として・・・・。 阪神の星野監督から激励され、花束を渡されながら抱きしめられる。 熱き男達の抱擁、抱かれる彼の目には涙が溢れていた・・・・。 彼の名は「原 辰徳」。 彼も長島や王と同じ、ミスタージャイアンツに相応しい人だった。 そして自らの思いをファンへ向けて語った彼は、甲子園の観客全てから 「原!原!原!」と熱いコールを受けながら選手一人一人と熱い握手を 交わし静にベンチへと引き上げて行き、ベンチへと入る直前にもう一度 グラウンドへ振り返り、観客へ向かって一礼してからベンチの奥へと 消えていった・・・・彼の人柄が表れた一面だったと私は思う・・・・。 彼のような才能溢れる若き指導者の道を閉ざす今の巨人球団フロントの在り方に、 今年ほど不快感を感じたシーズンも無かったであろう。 阪神ファンである私自身ですら思うことだけに、巨人ファンの心中は察して余りあるものがある。 日本一の人気球団がこの状況では、ファンも報われないと言うものだ。 プロ野球チームは個人及び一部の人間の意思反映機関であっては ならないと思う。何故ならファンあってのプロ野球であるからだ。 球団オーナーや球団フロントの独善的なチーム運営、ファンの声を 無視した今の球団の在り方に、危機感すら感じさせるものがある。 このままでは、日本のプロ野球はダメになってしまうかもしれないと・・・・。 そんな中、唯一明るい話題を提供し続けているのが星野阪神! 今や日本球界の救世主的存在と言っても過言ではなかろう! もう間近に迫った日本シリーズ、対福岡ダイエーホークス戦へ 向けてボルテージも上りっぱなしの阪神タイガースと虎ファンだが、 今日の原監督の姿には、言いようの無い寂しさを感じたな・・・。 彼が再び、桧舞台へと返り咲く日を願って・・・。 そして、巨人と共に人生を歩んだ彼へ、この言葉を送ります。 「夢に生き夢に捧げし我が身かな」 <エッセイ・ライダー 風の旅人より>
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「風の旅人メモリーズ〜思
い出のフォトグラフ〜」
2003年9月27日(土曜日) 8:46Pm第四話 {中編A;バイクへの洗礼} ・・・人には、忘れられない記憶がある・・・ ・・・誰もが心に、思い出と言う名のアルバムを持つ・・・ ・・・喜び、悲しみ、そして苦しみ、今まで歩んだ軌跡の全て・・・・ ・・・人生(とき)を、刻み続けた証が胸(ここ)にある・・・・・ ・・・そんな私の心の記憶、懐かしい時の思い出伝えます・・・ ・・・題して「風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ〜」・・・ {第三話の回想より} 自分が持つジッポの由来が元で、自らの過去を後輩達に語り始めたケイ。 憧れのバイク乗り、ライダーとしての一歩を踏み出した幼い日。 自転車に乗れるようになる為に、父と親友の自転車屋リュウおじさん、 そして俺の三人で市川の河川敷へ軽トラックに自転車を積んで向う。 互いに顔を見合わせ「ニヤリ」と笑う二人に気付かず、一人喜びまわる俺。 その後、自分に待受けていた過酷な運命を知りもせずに・・・・。 それでは、前回に引き続きご覧下さい。 <第四話>「風の旅人〜走り始めた日々〜」{中編A;バイクへの洗礼} ・・・あぁ、頭がクラクラするぅぅぅぅ・・・・・目の前もボヤけて見えるぅぅぅぅ・・・・。 ・・・体に力が入らへん・・・・手足が痛くて堪らへん・・・・何でやねん?・・・・。 僕、今、何してるんやろう?・・・・えっ、何て父さん?・・・・何言うてるの?・・・。 危ないと親父の声を聞き取れた瞬間、俺の体は空高く中に舞っていた。 体と自転車は別々に離れ、一瞬の出来事だったけど、宙に浮いた気がしたな。 あれぇ、何で僕ゥ、空に浮いてるんやろうと思った瞬間、河川敷に思いっきり叩き付けられた。 「クゥゥゥゥゥ・・・・・・・・、痛ってぇぇぇぇぇぇぇ・・・・・・・・」(絶叫)。 余りの痛みに悶絶し、朦朧とした意識も一瞬に吹き我に返った。 そう僕は今、父さん達と一緒に市川に来てるんや。自転車に乗れるよう練習する為に。 そして今、河原の岩に勢いよく乗り上げてバランスを崩し、自転車もろとも地面に叩き付けられた。 でも、何でやねん、何でこないに痛い思いせなアカンのやと僕は指導する二人に怒りを爆発させた。 どう考えても変だと思ったと思ったのよ、今思えばね(笑)。 普通自転車を補助輪無しで自力で乗れるように練習する場合、出来るだけ起伏の無い、 平らな所を選んでするやん。それやのに、練習に選んだ場所はデコボコで障害物だらけの河川敷。 二人とも分かってる?俺、まだ初心者どころか自転車すら乗ったことの無い子供やて忘れて無い? 何故、こんな場所を選んだのか。それは、後になって少しずつ分かり始めたんだ・・・・。 二人が言ったり指導した内容其の物は極めて単純、6歳の俺でも直ぐ理解出来た。 自転車の乗り方から始まって、ハンドルやブレーキの使い方、ペダルの漕ぎ方など 一連の操作法はとても丁寧に教えてくれた。 しかし、ここで気を許したのが大きな間違いだったと後で後悔したね(笑)。 「よし、じゃあ自転車の扱い方は分かったな?」と父さん達に聞かれ、ウンと答える僕。 「それじゃ俺が《手本》を見せるから、お前は俺の後ろについてこい」と父さんに言われ、 「えっ!そんな・・」無理だよと言いかける前に「リュウ、お前はケイの後ろに付いて フォローしてくれ」とおじさんにも指示を出す。 「OK!」とニコニコしながら俺を挟むように「3台」のオフロード用自転車が河川敷に 並び立つ。今分かった、何で軽トラックの荷台に自転車が「3台」も積まれていたのか。 この為に用意してたんや、僕はてっきりお店で売る自転車やと思っていたのに・・・・。 まさか、父さん達も自転車に乗って練習に加わるとは思わなかった訳で(笑)。 「行くぞ!」とスタートの合図をして走り出す父。 「ほら、ケイも続いて」とリュウおじさんに促され、迷ってる暇は無いと子供心に悟った 僕は、「クソッタレェェェ・・・」と叫びながら自転車を漕ぎ始める、只ひたすら父さんの 背中を追いかけながら。そしたら不思議なもんで、初めて乗った割には転倒しないで ちゃんと走るのよ、これが(笑)。 いやぁー、乗ってる自分が一番驚いたねぇ、僕って意外と上手いんちゃうのって勘違い しちゃいそうやった(笑)。でも必死だったからだと思う、それにコケたく無いって気持ち も強かったしね。 この時、親父は平らな小石の混じりの砂利面を選んで、ゆっくりとしたペースで走って くれた。まぁ、それは今だから分かる話であって、当時の俺にすれば猛スピードだった のよ(笑)。まだ全然良く分からない自転車ってヤツと格闘しながら、もう離されないよう に踏ん張ってた。 手取り足取り、教えてくれるとばかり思っていた予想は大きく裏切られたのさ(笑)。 時たま後ろを振り返りながら、一度もコケずに付いて来る息子の姿を見て 「良し良し」と頷きながら満足の笑みを浮かべる父。それは僕の後ろを走るリュウさんも 一緒だった。 彼らはこの時思ったそうな、ここまで上手く行くとはなとね・・・・・。 一見無謀に見える練習かも知れないが、実は確信的な狙いが二人にはあった。 自転車に乗る為に一番大切な技術とは何か? 一度身に付けてしまえば子供からお年よりまで年齢に関係無く、五体満足であれば一生 自転車に乗り続けられる、自転車に乗る為に欠かせない一番必要なもの。 それは「バランス感覚」だ。 今更言わなくても分かることだけど自転車は二輪車である。普通車である四輪車両と違 って自らではバランスを取れずに、止まると転倒してしまう乗り物だ。 それは目指すバイクも二輪車である以上変わらない事実。だが、ここに1点だけ大きな 違いがある。それは自転車の「人力」、バイクの「エンジン」、動力の違いが挙げられる。 そんなの当たり前じゃんって言われそうやけど、この違いは大きな意味をもっている。 バイクは見ての通り、アクセルを捻るだけで前へと進む乗り物や。肉体的にも自転車と 比べる必要も無いほど楽な乗り物やけど自転車は違う、自らの脚力で前へと進む動力を 生み出さなければ駄目なんや。 故に漕ぐと言う運動を繰り返しながら自転車が進行方向へ向かって進んで行くように、 転倒しないようにバランスを取る必要が生まれる。 つねに漕ぐ状態によって上体はぶれ易く、右へ左へと重心が動いて行くのを自然に 一定に保ちつつ、安定した走行を行わなければ前へと進めない。 このバランス感覚を身に付けないと自転車には乗れないのよ。 みんな苦労したやろ、自転車に乗れるようになるまでは。これを身に付けられなくて、 大人になった今でも自転車に乗れない鈍臭いヤツも世間にゃいるしなぁ(笑)。 これは言葉で言っても理解出来るものじゃない、自分で感じ取り、見極めないと習得 出来ない技術だ。そして勿論、この感覚を身に付けないとバイクにも乗れない訳である。 武道で良く聞く見取り稽古って言葉がある。他者の繰り出す技を見ただけで、自分の物と して取り込むことを意味した言葉だ。親父達が俺に対しての自転車練習法が正にコレ だったのよ。自ら手本となる走りを俺の目の前で見せ「盗め」「見て覚えろ」と体で示す。 どれだけ言葉で伝えても、手取り足取り指導しても、本人が自覚し見極めないと分からない。 なら、俺達流のやり方で一番手っ取り早い教え方とは何か? 自転車は通過点に過ぎず、俺達と同じ「バイク乗り」を目指すなら、徹底したバランス 感覚を子供の頃から叩き込んでおきたい。そうすれば、俺達より上手くバイクを操れる ようになる。 これが、親父達の本音だった訳さ・・・・・。 期待する方は勝手で良いが、期待された俺はそれどころじゃなかったよ(笑)。 俺が思った以上の反応を示すもんだから、親父達はドンドン地形の悪い場所へと移動し て行ってさ、そして、ついに転倒しちゃったのよ。 「イッテェェェ!」と思わず唸ってしまった。見ると膝はズリ向け、腕には青痣が出来て いた。しかし二人は助けようとせず、早く自転車起こしてついてこいと言うだけ。 「大丈夫かって言ってくれてもええんとちゃうの?」と口の中でブツブツ言いながら、 再び練習を開始する。それからは、走る、コケるの繰り返しだった。 だって、めちゃくちゃ走りにくい場所ばっか選んで走るんやもん父さんときたら。 リュウさんも後ろで「もっと漕いで」とか、「もっとしっかりハンドル握って」とか言うだけ。 僕がコケても助けてくれない。ふたりとも鬼や(怒)・・・・・・。 折角ピッカピカに光っていた自転車も傷まみれ、フレームも凹み、哀れな状態になって いた。親父達が変な場所で無謀な練習メニューを組むからやと言いたいところやった けど、一番に俺が満足に自転車に乗れなかったせいだった。 凹んだね、誕生日に買って貰った自転車があっと言う間にボロボロになったんやから。 でも、その時親父に言われた一言が俺の心に火をつけたんや! 何度目かの転倒後、ペタンと地面に座り込んで変わり果てた自転車の姿に思わす嘆く。 それを見て、それまで余り口を聞かなかった親父が一言に僕に呟いた。 「ケイ、お前がヘタクソやから自転車も傷だらけになるねん」 それを聞いて流石にカチンときた僕は、それまで我慢してきた思いを爆発させた。 「父さんが悪いんやないか!」 「何で俺が悪いねんケイ?」 「だってこんなところで練習するから」 「どこで練習したって、お前がコケたら一緒やろ」 「・・それは・・」 「何度も言わすな、お前がコケへんかったらええんや」 「・・・・」 黙り込む僕を見て、俺の性格を知り尽くした親父はニヤリと笑いながらこう言った。 「自転車くらい乗れんで如何するねん」 それを聞いて「ブチ」と切れたね、マジ切れモードに突入さ。 「何やとぅ!もう一回言うてみぃ!」 「あぁ、何弁でも言うたるわ!自転車もまともに乗れへんのか!」 「こんなもんくらい、直ぐに乗れるようになったるわい!」 「あぁそうかい!なら見せてみろよ!悔しかったら俺に追いついてみろ」 「絶対、ぶち抜いたるわ!」 正に売り言葉に買い言葉(笑)、まんまと親父に乗せられたと気付きもしないで練習を 再開する。しかし、流石に強がりを言っても体力が続かず、次第に体が言う事を聞か なくなってきた。 「如何した?何モタモタしてるねん!」と容赦ない言葉を浴びせられる。 うるさいと喚き返すのが精一杯、だんだんと頭がクラクラしてきた。 ・・あれ、父さんがぼやけて見えるよ。周りの景色も同じだぁ・・・・・。 ・・・・う、腕が思うように動かへんでぇ・・・・足も力が入んないよぅ・・・・。 ・・・頭がボーとしてきたなぁ、僕、何してるんやったっけ?・・・・・。 疲労から意識が薄らぎ始めた時、冒頭の出来事が起きた。 しっかりと前を見て走っていなかったと言うか、既に満足に走れる限界を超していた俺は 河川敷の大きな岩場に乗り上がり、親父達の「危ない」って叫び声を耳にしながら空高く ジャンプしていた。無論意識してやっていればさぞかしカッコ良かっただろうけど、 派手に地面へ落下して無様な姿を晒した当り、もち天然なのは言うまでもない(笑)。 「大丈夫かケイ?」と心配になって駆け寄る父さん達。 父さん達への怒りと余りの痛みに言葉を発する事が僕は出来なかった。 その様子から流石に調子に乗ってやりすぎたと反省した父さん達は、今日はコレくらいに して帰ろうと言い出した。それを聞いて俄然反発する。 「いやや!まだ乗る」 「アホ言え!たまたま打ち身だけで済んだけど無理したら今度は怪我するぞ!」 こっちこそ今更って気がしたね。だって俺の体、顔や手足全て擦過傷だらけやし、 痣も入れたら凄い事になっていた。まぁ、それは家に帰って風呂に入ってから気が 付いたんやけどね(笑)。 「まだ父さんに追いついてないもん!」 「生意気な事言うな!一日やそこらで俺に勝てると思うなよ!」 「だから未だ乗るねん!」 親子の意見は平行線を辿ったまま、一向に歩み寄る気配が無い(笑)。 そんな間を割って入ってくれたのがリュウおじさんだった。 「さぁ、もう暗くなってきたし、家に帰ろうケイ」 「でも、僕は乗りたいねん!」 「気持ちは分かるけど明日にしよう。それに・・・・」と言いかけて黙るリュウさん。 「それに?」とつい彼の次の言葉に気持ちが移る僕。 すると彼は「ここって夜になるとお化けが出るねんで」とニヤリとしながら言ったんだ。 それを聞いて怖くなった俺は「早く帰ろうよぅ」って懇願するように態度を変えたっけ(笑)。 子供との付き合いベタな親父と違って自転車屋を営むリュウさんは、職業柄子供との接触が多い。 だから子供の扱いも手馴れたもんである。 そうとも知らず、今度はリュウさんにまんまと乗せられちゃった(笑)。 軽トラックに綺麗な二台の自転車と一台のボロと貸した僕の自転車。 仲良く荷台で揺れながら、夕方の市川の土手を走って僕達は家へと帰宅した。 まったくとんでもない自転車デビューをしてしまったなぁと今でも思い出すたび考えちゃうね(笑)。 でも、これから後の出来事の方が、もっと大変だったけどなと含み笑いを浮かべながら俺は 話に一息付いた。 (次回へ続く) <編集後記> いやー、すっかり秋めいてきましたねぇ。 関西に住んでて一番過し易い季節は間違い無く秋。 もっとも四季を感じさせてくれますしねぇ、例えば紅葉、色付く山の渓谷なんて 凄く綺麗でしょう。関西のベストツーリングシーズンは絶対秋! これから12月中旬位まで楽しめるますから。 北海道はもうオフシーズンへ一直線!だって寒いし、雪積もるし(笑)。 (これを読んでる北海道在住の方、別に悪意が有って言ってる訳では無いですからね) どうも失礼しました。 さて次回の御話ですが、散々な自転車デビューを果たしたケイ。 この後、彼に起こって行く出来事とは?それは、この次に御話して行きましょう。 次回の風の旅人メモリーズ〜思い出のフォトグラフ、第五話。 「風の旅人〜走り始めた日々〜」{中編B;試練?}に御期待下さい。 |
風の旅人番外編「阪神タイガース、セ・リーグ優勝記念Vセール参戦 記!虎ファンの熱く長い一日! 2003年9月24日(水曜日) 11:54Pm <遠い日の記憶〜回想〜> ・・・今も子供心に覚えている・・・・。 ・・・そう、18年前の出来事を・・・。 ・・・俺は中学二年生だった・・・阪神タイガースが優勝したのは・・・。 ・・・凄いお祭り騒ぎだったよなぁ、俺も友達とはしゃぎまわったっけ・・・。 ・・・それから間もなく「優勝セール」が阪神系列の百貨店で始まって・・・・。 ・・・俺も買いに行ったけど、「優勝記念応援バット」一本手にするのがやっとだった・・・。 ・・・でも、何か無性に嬉しかったよな・・・宝物を手にしたみたいで・・・。 今も我が家のリビングのテレビに並んでそれは在る。 時と共に張られたラベル色あせ全体的にくたびれて来たが、伝説と称されるように なったあの優勝の時を静に語る記念応援バット。 あれから随分と長い時間が過ぎていった。 少年は大人へと成長し、社会に出てからも10年以上の月日が経っていた。 その間に一度は限りなく優勝に近づいた年も有ったよな。 そう、1992年のシリーズ戦、ヤクルトと最後まで優勝を争った年。 でも結局物には出来なかった、そして長いトンネルを潜る日々が続いた・・・。 もう、あの喜びを、優勝記念Vセールを味わう事は出来へんのやろうかぁ・・・。 あの猛烈な虎ファンのお祭り騒ぎを目にする事も無いのやろうかぁ・・・・。 すっかり諦めモードに入っていた全国の虎ファンの心を救ってくれたのが「星野仙一」。 かつて中日の顔だった、しかし今や阪神の顔。 いや虎ファンにとって「生神」阪神タイガース。 もはや宗教に近い(笑)熱烈なタイガースファンにとって、彼は教祖以上の存在だ。 昨年からタイガース指揮官として指導に当たり、就任後僅か2年でリーグ制覇! 様々な改革をチームに齎し、弱小チームを常勝軍団へと変貌させた。 今年ほどプロ野球を見てて楽しい年も無かったなぁ。 きっと少年だったあの頃も、きっと今みたいにテレビや甲子園で喰らい付くように 試合を観戦してたんだろう、周りが見えなくなるくらいに・・・。 そして優勝当日から明けた2003年9月16日。 長い、本当に長い時を経て優勝記念の宴は盛大に各地で幕を開けた。 一週間に及ぶ、虎ファンの熱い戦いが始まった・・・。 ******************************************************************************** <風の旅人、阪神タイガース優勝記念Vセール参戦記> 9月16日夜、阪神優勝が決まった翌日に米工房の久保常務と電話対談をしたのよ。 会話の主目的は、勿論阪神ネタ(笑)。いや彼も熱烈な北の阪神ファンやから、 喜びを分かち合おうとHPに特番ネタを振っただけじゃ我慢できずに押し掛け電話しちゃった訳(笑)。いやー、ホンとご迷惑をおかけしました。 その時の会話の流れで「俺、阪神のVセールに行ってきますけど久保さん何か要ります?」 て言っちゃったのさ。俺も久保さんも女性人がセールで狙うブランド品の安売り何かにや興味が無い。あくまで2003セ・リーグ優勝の文字が刻 まれた阪神グッズのみ! 「任せて下さい!」ゲットしてきますみたいな気安い事を宣言しながら、 この日の夕方、2万人でごった返す阪神百貨店の様子を伝えるニュースを思い出 し、 「ひょっとしたら無理かも知れません」と口の根も乾かない内に目標を下方修正(笑)。 だって阪神百貨店に入るのにも最大3時間待ち(入場制限を行っている為)。 それから6階フロアのタイガースショップまで上がるのに5時間待ちの計8時間。 たどり着いたからといって後の祭り、望みの商品が残っている可能性は低い。 まぁ、これはあくまで阪神百貨店本店での話し。阪神系列(業務提携)並びに優勝セールに 協賛している大手百貨店やス−パーマーケットは此処まで酷くないとしても、状況は似た様なもんでしょう。 彼との電話を切った後「ハァ」と思わず溜息が出ちゃいました(笑)。 しかし、俺は血の気が多い祭り好き!典型的な虎ファンや!! 内に溜まった鬱憤を晴らす為の虎ファンだけの宴やで、参戦する前から萎んでどうするねん。 男やったら7回攻撃前、空高く舞い上がるジェット風船みたいに弾けてみんかい。 何にもせんうちから負けた気になるな! 今が先行されてる時とするなら、今年のタイガースみたいに逆転勝ちする気で行ったらんかい! 自らの心の叫びに奮い立たされ「久保さん、俺、絶対Vグッズをゲットしてきまっせ」と 北に向かって吼え、興奮冷めやらぬまま週末土曜日に戦いの場へ向かう事にしました。 そして訪れた週末(9月20日)、いよいよ決戦の日で御座います。 私が住む姫路には阪神百貨店(阪神電鉄グループ)と業務提携している山陽百貨店(山陽電鉄グループ)が御座いまして、 何と大阪・梅田から姫路まで阪神電車が乗り入れしてるんですよ。 つまり、姫路も阪神沿線って訳ですね。そう言った関係から、昔から山陽百貨店内 にも阪神タイガースショップ専用フロアがあるんです。 つまり大阪梅田の阪神百貨店まで出向かなくてもVグッズが購入出来ると、ありがたい事ですわ全く。 (・・・と、余裕をこいていられたのも家に居た朝の内だけでした(笑)・・・) 山陽百貨店の営業開店時間は午前10時、JR姫路駅北側に在る百貨店から自宅まで車で25分位。少し早い午前9時過ぎ頃に家を出た・・・。 午前9時半にJR姫路駅南側の立体駐車場「はとパーキング」に愛車を駐車し、駅北側とを結ぶ連絡橋を早足で亘りながら一路目的地を目指す。 すると・・・うわぁ・・・凄い・・。 週末とあってか、子供から御年寄りまで開店待ちの御客で山陽百貨店前は黒山の人だかりが出来ていた。 その数は半端なモンじゃなかった(・・時、既に遅しかぁー?・・)。 とにかく焦っても仕方が無いと腹を決め、開店待ちの列に加わる私で御座いました。 そして、決戦の時を知らせる午前10時が訪れる・・・・。 「ウォー、それ行けぇぇぇ!」 子供だろうが女だろうが辺り構わず蹴散らしながらフロアを駆け上がって行く。 そして開店から15分掛かって漸く阪神タイガースショップへ到達するが、もう既に凄まじい戦いが繰り広げられていた。見る見るうちにVグッズ が消えて行く・・・。 「アカン、俺、ボケーとしてるねん」と我に返った俺は、出遅れた分を取り返すが如く戦いに身を投じて行く。そして、その攻 防は約40分近く続いた(笑)・・・。 「お客様申し訳ありません!只今を持ちましてVグッズ完売致しました」 声がガラガラに涸れた売り場店員のアナウンスを背中越しに聞きながら、暫し方針状態で フロア隅のベンチに腰掛け、「・・ふぅぅぅ・・」と思わず深く長めの溜息を付いてしまった。 疲れた、ほんとボロボロにされたよ、18年前のVセールなんて比じゃないって今回は。 これじゃ阪神百貨店とさほど変わらないんじゃないの? と、ぼやきつつも、足元に置かれた「袋包み」を見て顔がどんどん緩んでくるのが分かっちゃう。 これで何か言いたいかお分かりでしょう久保さん。 そう、ゲットしたんですよ!2003セ・リーグチャンピオン阪神タイガースのVグッズ!! ちゃんと私と同じものを手に入れられる物だけ買って来ましたぜ!!! 簡単に内訳を言いますね。 1;セ・リーグVキャップが2個。帽子の正面真ん中にVと阪神タイガースの合成マークと 横に2003セ・リーグチャンピオンと刺繍有り。 2;03V大うちわが2枚。これも帽子と同じマークが大きく描かれています。 3;2003年 阪神タイガース セントラルリーグ優勝記念扇子が2枚。 コレが一番気に入った品なんですが、扇子の表側が中心に阪神Vマーク。それからマークを 挟むように優勝の二文字を配置。そして裏側は阪神タイガース応援歌「六甲おろし」の歌詞が 美しい書体で書かれているのです。これはファン必見のアイテム間違い無し! 4;03V袋ホームカラーバージョンが2袋。 丁度上記の3点を収納するのに適した袋、絵柄も最高ですな! 以上が手にした品々です。実は一番欲しかったV記念応援バットはタッチの差で完売(残念)。 何とかセール期間中に山陽百貨店が阪神へ追加オーダーした分に予約する事が出来ましたので、 現在入荷連絡待ち(9/24現在)の状態です。もちろん久保さんの分も頼んでますから。 V記念応援バットが入荷次第、北海道へ発送の手続きを致します。 それ以外の上記の品は全て、私の手元に御座います(・・ふっふっふっ、嬉し笑いが止まらんで・・) 北に住む大切な阪神ファンの「兄」へ、関西の「弟」からのプレゼント! 遠慮せず、受け取って下さいね。 Vグッズ到着を楽しみにお待ち下さい。 冷たい10月中旬並みの気温と雨降る姫路から 風の旅人より |